【往復書簡】ダンスの詩学 対話篇 1~4
​ 中島那奈子⇔ボヴェ太郎 
中島⇒ボヴェ 花の中に少し緑が
ボヴェ⇒中島 花にもの思う春で
中島⇒ボヴェ 夜の涼しさが恋しい
ボヴェ⇒中島 うだるような暑さも
【書評】中島那奈子, 外山紀久子編著『老いと踊り』を読む
​ 池内靖子 

 はじめに

 ボヴェ太郎さんとの文のやり取りを始めたきっかけは、京都・春秋座での「イヴォンヌ・レイナーのパフォーマティヴ・エクシビジョン」の開催後に、出てきた議論が発端です。このレイナーさんの作品「Trio A」を上演するにあたり、私はダンステクニックと世代が異なる6人のダンサーの方に、出演依頼を出しました。その出演者の中で、喜多流能楽師である高林白牛口二さんと、能楽を習うことはせずに、能楽の美学に精通し、それを自らのコンテンポラリー作品に取り入れるボヴェ太郎さんに、日本の伝統に対する二つの異なる姿勢を感じていました。そして、お二人もお互いの立場の違いを鋭く感じ取っていたと思います。パフォーマティヴ・エクシビジョンのウェブサイトを公開するにあたって、私は高林さんと対談をしていますが(http://www.nanakonakajima.com/rainer/?p=254)、ボヴェ太郎さんともご自身の美学や考え方について対話の機会を持ちたいと考えていました。
 当初は、対談のような形式を考えていましたが、ボヴェ太郎さんから頂くメールが、季節の便りが絶妙に含まれた、嫋やかなものばかりで、そういった形式や雰囲気がボヴェさんの美意識やダンスを表しているように感じました。それならば少し古風かもしれないものの、「文のやりとり」という形はどうであろうか、と考えた次第です。                     (中島那奈子)

 
拝啓
 花の中に少し緑が入り始め、鴨川のほとりも静かになってきましたが、いかがお過ごしですか。私は新学期が始まって、気がソワソワしております。今は授業をしなくてはいけないものの、いつまでたっても、授業を受けたいという気持ちに変わりがなくて、困っています。
 実は昨日、隅田川の謡を聞いてきたところです。これは旧暦3月15日の設定ですから、ちょうど今の時期のお話で、裏に隠れている桜のイメージが、ひらりひらりと哀愁をもって漂うような気が致しました。また、隅田川の梅若丸の母親は、京都の北白河に住んでいたのですね。ご一緒した劇場のあるこの地名が、この謡の中で聞こえてきて驚いていました。京都に来てまだ半年ですが、ここには、この国のアクチュアルな歴史があちこちに息づいている気がします。先日も洛中洛外図屏風を見ていて、この屏風で描かれていた地名や人物が、こんなにも私と地続きに感じられることに、感銘を覚えました。またお話ししましたように、最近、人類を超えた環境史や技術、ポストヒューマンといった考えが言論界を賑わせるようになってきたのと並行して、京に移ってから、生と自然のありかたに、より一層目が向くようになりました。そのため最近は、ダンス周辺の思考を、そのような身の回りの環境や自然と結びつけていきたいと思っています。とりあえずここで、新古今から、この京の葉桜をよんだ歌を一つ。
 さくらばな 夢かうつつか 白雲の 絶えてつねなき 峯の春風 (藤原家隆)
 さて、その節は、イヴォンヌ・レイナーさんのパフォーマティヴ・エクシビジョンにご協力くださってありがとうございました。お話ししましたように、この1月28日に、ニューヨーク大学でレクチャーと、イヴォンヌ・レイナーさんとの対談をしてきました!その詳しい記録は、雑誌「パフォーマンス・リサーチ」に掲載しますが、その時に少し気づいたことがありましたので、ご報告を兼ねて記します。
 対談ではレイナーさんは、京都・春秋座でのTrio Aと彼女のこれまでの作品の展示方法にヒット!だと言って大喜びされていて、私はとても嬉しかったです。レイナーさんは、自分でも最近はそうやってクリエーションするのだけど、チェリーピック(さくらんぼを摘むように良い作品を慎重に選びとること)して、作品を選んでくれたわね、と言っていました。あと彼女と話していて、新しくわかった事実もありました。Trio Aは、初演ではジャドソン教会のスペースで上演したものの、それでもお客を正面方向に座らせて、作品の正面性を確保したとか、あと自分が生きている限りは、素人がTrio Aを適当に踊らないようコントロールしたいとか、そうは言っても、レイナーさん自身がTrio Aを踊る機会をいま提供されたら踊るかどうかと聞かれると、言葉に詰まってしまうとか。レイナーさんが、自分の中にある老いへの偏見と格闘する姿が、どこか、垣間見えました。
 ちょうどこの時期に、ニューヨーク現代美術館(MoMA)の2階のスペースでは、 企画展「Judson Dance Theater: The Work Is Never Done」が開催されていました。加えてクイーンズのPS1という別館ではジャドソン関連のイヴェントも開催され、街はジャドソン教会派のリバイバルで盛り上がっていました。実はこのMoMAでの展示は残念ながら私には期待はずれで、というのも、ジャドソン教会派関連の新しい資料は二、三点しか出ていなかったのです。(ただ、その中でもダンス批評のジル・ジョンストンが酔ってビルの屋上で踊るビデオは面白かったです。)こちらのサイトに、会場の写真がありました。
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3927
 この展示に付随して美術館内で行われるパフォーマンスも、シモーネ・フォルティがすでに世界各地の美術館で行ってきた小品を、そのまま上演していました。ジャドソン教会派全体の展示なので、レイナーさんだけにフォーカスを当てることはできないのですが、私はこの 企画展は歴史資料展示ではない、もっと面白い見せ方が出来ると感じていました。春秋座のレイナー企画のほうがずっと面白いと言ってくれた友人もいましたが、 MoMAの風景を見ていて、美術作品の展示ではない、ダンスの展示はさらなる工夫が必要だと、改めて感じさせられました。
 ただ、私がオンタイムで見られなかったレクチャーやパフォーマンスも沢山ありました。今回は特別にレイナーさんに頼んで、彼女が昨年9月17日に、このMoMAの企画で行ったレクチャーパフォーマンス Revisions: A Truncated History of the Universe for Dummies. A Rant Dance and Letter to Humanityの映像を、MoMAのパフォーマンスアート部門のビデオアーカイブで見てきました。ソファが鎮座している館内のアーカイブで見たレクチャーパフォーマンスには、84歳とは思えない、アヴァンギャルドなアーティストがいました。
 レクチャー前に、キュレーターのアナ・ヤネフスキが挨拶するのですが、そこで、今日の催しには微細な変更があると、イヴォンヌ・レイナーは、今晩はパフォーマンスしませんが、どうぞ帰らずにそのままお座りくださいと言うのです。どういうことなのかと思ったら、レイナーさんがアポロという役で登場し、真面目にレクチャーを始めようとするものの、この部屋は暑いと言いだして、舞台上で着替えを始めてしまうのです。満員の観客を前に、いきなり上半身ヌードになるレイナーさんをみて、この人はいくつになってもジャドソン教会派のあの、イヴォンヌ・レイナーというアーティストなのだと思いました。レクチャーでは、時々登場するアシスタントが傍で新聞を読むパフォーマンスをしながら、アポロ神話とレイナーさんの過去の作品や、歴史の進歩史観や環境破壊、人種をめぐる問題が話されていました。レクチャーの終わりでは、やっぱりレイナーさんはもう一度裸で着替えて、ホールを颯爽と退出していきました(笑)。
 1月28日の私との対談でも、老いとヌードについてが、少し話題になりました。聴衆の中から、デボラ・ヘイがヌードでパフォーマンスをする作品を見たか質問が出たのですが、レイナーさんはそう、彼女ももう一人の shamelessな(恥じらいのない)人よね、と言って会場を沸かせていました。この対談で、レイナーさんにユーモアのセンスがあり、それで人を惹きつけることはよくわかったのですが、それと同時にアメリカ社会での老いへの偏見にも直面しました。アメリカ人は、老いを笑うことで解決しようとする、そう感じられたのです。高齢でも人前で踊るとか、ヌードでパフォーマンスするとか、そういったことをすると、自虐ネタになってしまって、皆が笑う。老いは「shamelessではない」と思っている私は、そこで一人、立ちすくんでいるのです。これまでにもアメリカで似たような状況が起きたのですが、老いがそのように、恥らいのなさとして人々の笑いの種になることが、私にはやっぱり奇妙に感じられました。 後から、老いに対してどのような態度を示していいかわからないために、笑いでしか反応できないのだと、同席したアメリカ人の友人が説明してくれました。笑いは、人々が共有する認識の上に成り立つ現象です。アメリカは老年学発祥の地ですが、老いることを恐れるばかりに、荘厳な、敬意を払われる老いのイメージは、文化的に定着していないのだと思います。でもだからこそ、84歳のレイナーさんのパフォーマンスでのヌードといった、実験的な思考が現れるのかもしれません。
 前回は、近著『老いと踊り』の丁寧な感想を書いてくださって、ありがとうございました。<老い>と<踊り>は、その二つの関係性が文化によって変わってくるものです。もちろんこの問題は、世代や高齢者といった年齢にまつわるアイデンティティ・ポリティクスと絡んでくるのですが、それ以上に私は、生きている以上、人間誰にでも訪れる<老い>は究極的には、レイナーさんのように、自分の中にある怖れとの闘いではないか、と考えています。
 少し、レイナーさんと<老い>のことを書きすぎたかもしれません。次回はぜひ、ボヴェさんの最近考えていることを、伺いたいです。今日は雨なので花が散ってしまいますが、それでも、川の水面に浮かぶ花びらの絨毯を見るのも、私は好きです。
 どうぞお身体に気をつけてお過ごし下さい。
敬具

         2019年4月14日
中島那奈子

 ボヴェ太郎 様
拝啓
 花にもの思う春でございますね。京都の春の喧騒も、桜のうつろいとともに静まってまいりました。私は道ばたにそよぐ色とりどりの草花に、心を寄せるこの頃でございます。
 素敵な文が手元にまいりました。ありがとうございます。隅田川の謡をお聴きになられていたのですね。私も北白河のあたりに住める者となって、いつの間にやら20年近くが過ぎようとしております。光陰矢の如しでございますね。人生の先輩方は「これからさらに時間は速く過ぎてゆきますよ」と口を揃えておっしゃるのですが、私は晩年の夏目漱石が芥川龍之介へ宛てた手紙に残る「あせってはいけません。牛のようにずうずうしく進んでゆくのが大事です。」という言葉を、ずうずうしくも我が身に重ね、マイペースな日々を楽しんでおります。ちなみに私の苗字の[BOVEボヴェ]はフランスに多い苗字なのですが、イタリア語では牡牛という意味もあるそうで、牛さんには昔から親近感のようなものを抱いております。来月の葵祭でも、颯爽と歩む平安騎馬隊のお馬さんの後ろで、マイペースに牛車を引く牛さんに会えますね。
 閑話休題
 隅田川から随分と話がそれてしまいました。私はどちらかと申しますと、源氏物語、新古今和歌集、金春禅竹へと連なる美意識の流れに、より深く引き寄せられるのですが、元雅の作品は、生きている人間の苦しみや哀しみを正面から捉え、深く掘り下げてゆこうとする姿勢が感じられますね。都から心を乱しながら我が子を探し求め、遠く隅田川のほとりに辿り着く母親の道行に、伊勢物語・業平東下りのイメージを重ねることで典雅な奥行きを添え、後半の哀しみがより一層際立つように構成されていたりと、細部まで緻密に練られた素晴らしい作品ですね。隅田川は上演機会の多い作品ですので、私も10代の頃より様々な方のお舞台を拝見する機会がございましたが、やはり東日本大震災の後に接した時、数百年の時を超えて迫り来るものがございました。不在の者を思い、残された者の思いに心を重ねようとする姿は、時代を超えて胸を打つものがございますね。

 イヴォンヌ・レイナーさんとのご対話も、興味深く読ませていただきました。一昨年にTrio Aを丁寧なワークショップを受けながら踊らせていただいた経験は、私にとりまして大変意義深い体験となりました。80代半ばになられるレイナーさんの紡がれてきた創作の歩みに触れますと、時代の空気に呼応しつつ、レイナーさんご自身の中に変わらずに底流する何ものか、そこを一途に探ろうとされている姿が感じられ、深い感銘を受けました。
 アメリカ社会における老いへの偏見に対する中島さんの戸惑いも、響いてくるものがございました。中島さんのご著書『老いと踊り』からも感じられましたが、老いを語る時、日本では「老いているから素晴らしい」、アメリカでは「老いているのに素晴らしい」という地点から議論がはじまるような印象がございます。やはり前提となる老いの受けとめ方に随分と違いがあるようですね。しかし日本においても中島さんのおっしゃられた「老いが恥じらいのなさとして人々の笑いの種になる」という側面は昔から厳然とあるようです。例えば「命長ければ恥じ多し」と徒然草に書いた兼好は、老いて本能を抑えられなくなり、自己顕示欲や虚栄心、承認欲求に突き動かされて行動する老人を、それこそ恥じらいの無い存在として、完膚無きまでにこき下ろしております。痛快な側面もございますが、個人的には皆まで言わなくとも…と。しかしそれは、老いて成熟した人は敬意を払われるべき存在である、という前提があった上でのカウンターなのでしょうね。また兼好自身の「老いへの怖れの反映」として読みますと、違った視界が開けそうですね。
 老いは確かに文化的、社会的背景によって捉え方が大きく違いますし、お一人お一人の歩まれた歴史によって多様な広がりがございますので、大文字で語ることは出来ませんが、私にとりましては、青春時代に無類のときめきをもたらして下さった老いたる人たち、すなわち、武原はん、大野一雄、宝生閑、ジジ・ジャンメール、ピナ・バウシュ…、あるいは、グスタフ・レオンハルト、コンパイ・セグンド、志村ふくみ、馬場あき子、加島祥造…、彼らに漲る充実した輝き、年を追うごとに煌めきを増す成熟した命の佇まいに接することは、大きな喜びでありました。
 しかし最近は、そう言ったある意味で超越的な方々だけでなく、私の周りで静かに老いてゆく方々と接する中で、本当にお一人お一人、全く違う老いへの向き合い方をされていて、それぞれにとっての腑に落ちる歩みがあるのだなと感じております。ひたすらに柔らかく、穏やかに収斂するように老いてゆく方もいれば、社会や身の回りの者、あるいは自分自身への怒りの感情によって、命が支えられているように感じられる方もおられます。老いと命の不思議に思いをめぐらす今日この頃でございます。

 ダンスの詩学という、もったいないタイトルを頂いておりますのに、ダンスについてのお話が弾まず、申し訳ございません。恐縮ながら少し、私が創作の中で感じておりますことをお話しさせていただきたいと思います。私は空間を知覚し、感応してゆく「聴く」身体をコンセプトに、空間との関係性の中から舞を紡いでゆくというスタンスで創作を行っております。その中で、能動的な身体性よりも受動的なありかたに可能性を感じつつ、完全な受動とも言い切れない、その微妙な感覚をうまく言葉に出来ずにおりました。そのような折、昨年手にしました國分功一郎さんの近著『中動態の世界』に大きな示唆がございました。この本では「能動態」と「受動態」の他に、かつてのインド=ヨーロッパ語に広く存在していたものの、今は文法の態としては失われた「中動態」の概念を手掛かりに、意志と行為の間にある繊細な関係を丁寧に考察されています。
 
 私たちは意志せずに行為をしているという状況がよくございますが、その時、意志と選択を分けて捉えることで見えてくる可能性の広がりを、指摘されているように感じました。意志せずとも選択はしているという状態、それは私の舞っている時の状態に大変近いように感じられ、様々な気づきがございました。また以前より心惹かれつつ難解なために何度も挫折しておりました、スピノザにおける「コナトゥス」や「自由」の概念についても「中動態」の視点を通して丁寧に触れられており、大変多くの発見がございました。
 また私の中で、しっくりとゆく言葉にまとまりましたら、お伝え出来ればと考えております。
 私はこのように、空想のお花畑で一人遊びに興じつつ、庭先のお花と静かに戯れる日々を楽しんでおります。この後は、もしよろしければ中島さんが「老いと踊り」についてご関心を持たれるようになった原体験などがございましたら、お聞きしてみたいと感じております。また、当時の思いと現在の思いに変化や広がりがございましたら、あわせてお伺い出来れば幸いでございます。
 それでは、春も深まってまいりましたが、朝晩は冴返る日もございますので、くれぐれもご自愛下さいませ。結びに私の好きな古歌を一首、添えさせていただきますね。
 春雨ににほへる色もあかなくに香さへ懐かし山吹の花  よみ人しらず
敬具
 
        2019年4月30日

ボヴェ太郎

 中島那奈子 様
 

隅田川 『伊勢物語』九段の業平東下りを題材に、観世十郎元雅が著した「狂女物」「物狂能」とされる能楽の演目。人買いが横行していた時代を背景とした悲劇。

イヴォンヌ・レイナー

 Yvonne Rainer (1934-)ポストモダンダンスの歴史を作り、コンテンポラリーダンス界においても大きな影響力を持つニューヨーク・ジャドソン教会派を代表する振付家・ダンサー。

Performance Research誌の記事は、こちら。

https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13528165.2019.1600355

イヴォンヌ・レイナー(左)と中島(右)。Photo Kei Okada, courtesy of NYU Gallatin

ジャドソン・ダンス・シアター

Jadson Dance Theater

 ニューヨークのジャドソン記念教会で1962年ごろから活動を始めたダンサーのグループで、ポスト・モダンダンスを開いたとされている。イヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウン、スティーヴ・パクストンなど。偶然性、日常性、即興、コンタクト・インプロヴィゼーションなど、現在に至るダンスに大きな影響を与えている。

​“Judson Dance Theater The Work Is Never Done”展は、2018年9月から2019年2月にかけて開催された。

『老いと踊り』 

中島那奈子, 外山紀久子編著 勁草書房, 2019.2

 少子高齢化が進む日本にとって、<老い>は社会変化に伴う古い価値観との軋轢を生む、現実的な対応を求められる問題である。その一方で、<老い>と踊りの研究は強さや効率性を至上命題としない主体の新しい在り方を模索し、欧米中心に成立したダンスの構造に新たなパラダイムを切り開くものである。先行書 “The Aging Body in
Dance(Routledge、2017)を踏まえ、この学術的見地を日本国内での議論に新たに接続し、ほぼ同時期に本書刊行に漕ぎ付けることとなった。
 本書では、1960、70年代に伝統的なアプローチを脱構築した振付家であるドイツのピナ・バウシュ、米国ポストモダンダンスのイヴォンヌ・レイナーが語る老いと共に、米国のメレディス・モンク、日本の伝統舞踊での老いの価値を支える身体観や、このテーマを体現する大野一雄の魂の舞踏へと、高揚した議論はドライブしていく。それと同時に、日本の老女神信仰から発した芸術創作や神道の「翁童身体」、老いの構造を用いた上演分析や舞踏の継承が論じられながら、死への移行の問題を含めた普通の人の老いの過程からも舞踊と老いの関係が考察される。研究と実践の場において一線で活躍するこの書籍の論者とともに、<老い>と踊りという切り口で、新たな挑戦を仕掛けたい。(中島による著書紹介)

 武原はん(1903-98)昭和期に活躍した上方舞の日本舞踊家

 

 大野一雄(1906-2010)舞踏家。土方巽と共に日本の舞踏を

築き上げ、海外でも高く評価された

 宝生閑(1934-2016)昭和期から平成にかけて活躍した能楽師。ワキ方宝生流宗家

 ジジ・ジャンメール(1924-)フランスのバレエダンサー。振付家ローラン・プティの公私にわたるパートナー

 ピナ・バウシュ(1940-2009)ドイツのコンテンポラリー・ダンスの振付家、舞踊家

 グスタフ・レオンハルト(1928-2012)オランダ鍵盤楽器奏者・指揮者教育者・音楽学者。古楽運動のパイオニア

 コンパイ・セグンド(1907-2003)キューバ出身の歌手ギタリスト作曲家。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの中心的存在

 志村ふくみ(1924- )日本の染織家、随筆家。草木染を用いた紬織で知られる

 

 馬場あき子(1928- )歌人、評論家。さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

 加島祥造(1923-2015)アメリカ文学研究者翻訳家随筆家タオイスト

『中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)』國分功一郎、医学書院、2017

春雨に... 古今和歌集巻第二 春歌下

 

photo:Toshihiro Shimizu

雑誌PAJ: A Journal of Performance and
Artから出版されている。

https://www.mitpressjournals.org/doi/abs/10.1162/PAJJ_a_00375?mobileUi=0

 
拝啓
 夜の涼しさが恋しい、日差しの厳しい季節になりました。いかがお過ごしですか。お返事がたいへん遅くなってしまったこと、お詫び申し上げます。私は怒涛の春学期が終わり、一息ついております。今学期は授業の合間に、台湾と北京でのリハーサルが入って大変慌ただしくしておりました。それぞれ別の振付家による作品ですが、どちらも、バレエの老いや舞踊の伝統をテーマにしているものです。奇しくも香港で「逃亡犯条例」の改正案に反対するデモが起こった6月16日に、私は北京にいて、この歴史が長く巨大な国が抱える困難と、これからの展開に思いを馳せるばかりでした。

 さて、『老いと踊り』について、丁寧な感想をお送り下さってありがとうございます。先日も、美学・芸術分野での今年上半期の三冊に、この書籍を選んでくださった評者があり、大変嬉しく思っていたところです。お尋ねくださった、このテーマに関心をもった原体験としては、やはり日本舞踊での経験が挙げられるかと思います。盆踊りの太鼓が鳴り出すとじっとしていられなかった私が、遊び友達と一緒に、日本舞踊の稽古に通うのは、それほど特別なことではなかったと覚えています。ただ、私は踊りを踊っていたとき、いつももっと大きくなりたい、歳をとりたいと思っていました。というのも、初めて踊りの稽古場を訪れた時、私はまだ2歳半で、稽古するには小さすぎるからと稽古場から追い返されてしまったのです。3歳になったら稽古を始めてもいいというお許しを師匠からとりつけ、その後は20年以上稽古に通っていました。母も祖母も踊りを習っていて、芸事が好きな家でしたので、稽古に通わせてくれたのだと思います。そして稽古を重ねていく中で、一番年下のくせに、一番の経験者という奇妙な踊り手になってしまいました。名執の試験を終えて藤間の姓を許され、師範名執の試験も合格し、踊りが教えられるようになっていました。ただ、そんな若くして階段を駆け上がってしまった私が奢らないように、よく体は動くけれど、まだ若くて人生経験が足りない、あなたの踊りにはまだ年齢が足りないと、師匠は戒め続けました。年齢を重ねないとでてこない踊りの良さがある。26歳の時、そう感じて私は、東京からニューヨークへと拠点を移しました。

 ただ日本を離れ、ニューヨークのダンスシーンに飛び込んだ途端、ここがダンスとはいえ別世界だということに気がつきました。ことに、ダンスの良さや面白さに関しては、速く、高く、強く、セクシーで、という価値が尊ばれ、経験やコツを要する舞踊はゆっくりすぎて、見るものの眠気を誘うとして避けられていました。ましてや、若いダンサーは、健康保険がないため、怪我や病気になることと同様に老いることを嫌悪し、生き急ぐ感がありました。日本で私は若すぎて踊れないと悩んでいたのに、ここでは皆老いることを怖がっている。それは、私の中では、日本舞踊で大切であった美意識や倫理観が、アメリカ人には理解されないという苛立ちと絶望感と同じことでした。

 ただそれとは対照的に、ニューヨークには新しさと若さ故の自由とチャンスがありました。実力社会であっても年功序列ではないために、経験がない、若いことは、ハンディにならなかった。人種や言語、ジェンダーの問題には頭を悩まされましたが、そのトレードオフとして、アメリカのダンスの別の価値観を目の当たりにしたのです。ニューヨークでの学業を終えて、私は年齢に関係なく、周りの人々と対等な関係で、コンテンポラリーダンスの分野のドラマトゥルクとして多くの仕事をこなすようになりました。

 その後、さらなるドラマトゥルクの経験と研究のために、ドイツ・ベルリンへと移動していく中で、この年齢の問題が、異文化受容だけでなく、高齢の踊り手を成立させる芸術や劇場制度、テクニックや美学、伝統という考え方、師弟制や家(元)制の問題と共に複雑化し、そして、近代化というさらに大きな枠組みで語る必要を感じるようになりました。少子高齢化が進むドイツでは、若いアメリカにはない、ヨーロッパの歴史的視野から「老い」を考える懐があったわけです。でも、ドイツに行って、小柄なアジア人女性の私が、ますます幼く見えるようになったという原体験も大きいですね(笑)。もちろんその背後に、欧米人がイメージする典型的人間像という問題が隠れているわけですが。

 

 実は昨日、庭めぐりの会というのに参加して、近くにある庭園家の重森三玲の手による庭園美術館を見てきました。この家屋自体は古いものですが、枯山水のある庭園や襖などは彼の手による1970年前後のモダンなもので、イヴォンヌ・レイナーさんのTrio Aとほぼ同時期だなと考えながら見てしまいました。重森三玲と交友のあったイサムノグチの照明が使われていたり、ジャクソン・ポロックのドロッピングのような文様が箒で描かれていたりと、少し響きあうものもありました。

 このお話をしたのは、庭という、生きて動いているのか、固定されたものかわからない空間を眼の前にして、ボヴェさんが中動態に言及されたことを思い出していたからなのです。私にはボヴェさんが中動態という用語でお話しされた踊る受動的身体の経験に、大地や自然との往還が深く関わっているのではないかと感じています。劇場ではない特定の場を上演に選ばれ、歴史や季節を取り入れる能楽を本歌取りにしながら、ご自身の状況と対応させるコンテンポラリーな方法も、その時間や空間を「聴く」姿勢なのではないかと考えるのです。
 
 外山紀久子さんは、ダンスや音楽での「与えられる/外から来る」感覚を、脱主体論として論じているので、こちらの論文をご参考までに同封します。また、かつて自然との関わりの中で育まれる日本の大いなる受動性を、日本的霊性という言葉で語った鈴木大拙も思い出されます。彼の思考は、多くの宗教学者によって批判的に乗り越えられているものの、失われた大地との繋がりや環世界における姿勢について、私は京都に来てから、一層思うところが深くなりました。ボヴェさんからのお便りに時折見られる、庭先の草花との季節の対話は、私はその意味でもダンスに通じる感性ではないかと思っていました。これは余談ですが、庭の日があるドイツでは、各地に「クラインガルテン」という貸農園があるのです。どこの都市にもあるヒッピーのようなコミューンで、現代の若者には小市民的だとも言われますが、都市に住むストレスを解消するかのように、皆が休日になると庭いじりを楽しむ様子は、なんだか大地に惹きつけられるようだと思っていました。

 京都は厳しい暑さが続きますが、どうぞお体に気をつけてお過ごしください。



敬具


  
       2019年7月30日


中島​那奈子


ボヴェ太郎 様

重森三玲(しげもり・みれい 1896-1975) 作庭家・日本庭園史の研究家。作庭の代表作に東福寺(1939)、岸和田城 八陣の庭(1953)、松尾大社 松風苑 (1975)など

 

photo:Hironobu Hosokawa

拝啓
 うだるような暑さも、彼岸を境にすっかり収まってまいりましたね。お変わりなくお元気にお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。私は秋風に誘われるように、夜の散歩を楽しんでおります。暗闇の中、とりどりの虫が奏でる豊穣なハーモニーに包まれますと、本当に不思議な心持ちとなりますね。
 前回のお手紙では、中島さんが取り組まれておられるテーマ「老いと踊り」について、関心を持たれた原体験から現在の思いまで、センシティブな側面も含めて丁寧にお綴りくださり、ありがとうございました。その時々のご自分の思いや葛藤に真摯に向き合われ、力強く行動に移してゆかれる姿に感銘を受けました。ダンスにおける老いは文化的背景によって本当に異なる意味を帯びるものなのですね。私は様々な文化圏に身を置いてダンスに向き合われている中島さんが70歳を迎えられてから再び踊る古典曲を、ぜひ拝見してみたいという思いを抱きました。
 古典の世界から歩みを始められた方は常に立ち帰る場所があり、支えとなっているように感じられます。とても素晴らしいことですね。私は自分自身が舞ったり踊ったりする以前より、コンテンポラリーの舞踊にも古典舞踊にも等しく魅力を感じておりました。ただ、一つの世界に身を預けて取り組むことへの憧れとは裏腹に、言いようのない生理的なためらいがありまして、深い敬意を抱きつつ、常に全ての世界と一定の距離を保ちながら接してまいりました。
 そのためらいは、舞踊に限らず私の生活全般に及んでおりまして、幼少期から一貫してあったように思います。それは生来の傾向かもしれませんが、私自身の出自を始めとした、自分の意志とは関係なく生まれながらにマイノリティーである側面を、幼心に受け止めてゆくなかで形成されていったものなのかもしれません。対象に対して深く共鳴しつつ決して同化しえないという感覚。そこから生まれる同化へのためらいは、多様な方々との交流を通して今ではすっかり滅してまいりましたが、埋み火のように燻っているようで、時おり炎立つ様に驚くこともございます。
 思い返しますと、私は幼少期から小鳥やお花を観察するのと同じように他の子供や大人達の生態を観察し、そこに驚きやときめきを見い出す日々を楽しんでおりました。風景も人も音楽も書物も、ある意味で等距離に接することが私の中では自然だったのですが、後年どうやらあまり一般的ではないことに気づかされ、他者に対する思い入れが取り立てて強くない自分を「ひ・と・で・な・し」(某クリステル氏の振付でご再生下さい)と感じ、愕然とすることもございましたが、心温かな隣人に恵まれて平和な日々を送ってまいりました。
 蝶が風を受けて軽やかに飛んでいる姿、草木のゆらぎや木漏れ日、川の流れや雲のうつろい、いろいろな事象が関係しあいながら繊細に変化してゆくさまを見ていると、動的均衡と言うのでしょうか、絶えずリバランスをしながら整った状態にあろうとしているように感じられ、自分自身も端からそれを乱さぬようにそっと見る(接する)ことで、自らの内感が共振して整ってゆくような感覚を覚えるのです。その喜びは、私にとりましては舞台を見たり音楽を聴いたりする喜びと同じであり、さらに言えば自分自身が舞台に立つ喜びも地続きにあるように思います。
 風景の美しさと同じように、人が何かに集中している姿はとても美しく、その姿を乱さぬようにそっと受けとめることで、自らの集中が高まってゆくように感じられることがあります。だからでしょうか、私は舞台を観る時も、正面を避けて斜め後方から静かに受けとめるのが好きなのですね。正面で対しますと、舞台に立っている人の、どう見せたいか、どう見られたいか、という欲望の志向性に飲み込まれてしまい、息苦しくなってしまうのです。視点から逸れることで広がりのある受容ができ、さまざまな感覚の気づきが得られるように感じられます。自分で公演を行う際には、観客の皆さまにもそのような接し方を体感していただきたいという思いがあり、正面をかざした箇所に客席を配置させていただくことが多いのですね。対面するのではなく、風景を見るように繊細な距離を保ちながら舞台上の身体に接することで、自身の内感のリズムの微細な変化に気づいていただく経験となりましたら、とても嬉しいですね。
 外山紀久子さんの論文も同封頂きありがとうございました。若干、スピリチュアルな高揚感を伴った文体に思考を重ね辛い側面もございますが、芸術をアリストテレスの「模倣的技術」に遡る古典古代から連なる作品中心の〈テクネー〉の概念だけではなく、〈ムーシケー〉『(a)心身の調律・自己変容をもたらす、(b)(自分のなかに閉じているのではなく、なんらか意識にとっての他者・外部に開かれ、そこから)「与えられる」』という側面からも捉え直してゆこうとされる姿勢は大変興味深く、共感を覚えました。
 荘子の「心斎」について言及されている以下の箇所も印象的でした。『即興の動きが溢れ出て来る「魔法にかけられた状態」「ダンス状態」(シモーヌ・フォルティ)に入るには、 −中略− 瞑想の深まりによって表象する心のざわめきが鎮まった状態が求められるだろう。それは正しく「心斎」=心のものいみ(荘子)によって「虚の状態」に至り、「気で聞く」ことに通じるスタンスと思われる。「耳で聞かないで心によって聞くようにし、心で聞かないで気によって聞くようにせよ。耳は音を聞くだけであるし、心は外から来たものに合わせ[認識す]るだけだが、気というものは空虚でいてどんなものでも受けいれるものだ。そして真実の道はただこの空虚の状態にだけ定着する。この空虚の状態になることこそ心斎なのだ。」』。
 論文では続いて、エリック・サティの『ヴェクサシオン』(52拍のパッセージをきわめてゆっくりと840回繰り返すのみのピアノ曲)初演時の経験を語る、ジョン・ケージの印象的な言葉が引用されています。『大部分の人は、なにが起こるかわかっていると考えていたので、来ようとしなかった。私達、演奏していた者でさえ反復的なものになるだろうと考えていたのです。私達ピアニストはなにが起こるのかよく知っているはずでした。ところがなにが起きたかというと、18時間続いた演奏の最中に、まさに私達の生が変貌したのです。私達は唖然としました。私達が考えてもみなかった、予想することなど及びもつかなかったなにかが起こりつつあったのですから』。
 ケージの言葉は、私が充実した能の「序之舞」に接している時に感じる感覚に極めて近く、共通する何物かを感じます。また私自身が舞踊を舞っている時にも、本当に極稀にではありますが、充足した舞の状態に移行しつつあるように感じられる時があり、恐らく何かしら共通する心身の状態があるのではないかと想像しております。
 充足した舞踊が現出する状態への移行を言語化する事はとても難しいのですが、上記のケージの言葉や、僧が修行を重ねることで瞑想時に到るという「三昧」の状態について語られる時の言葉、あるいはスポーツ選手のコンディションが整って集中度の高い状態に移行する時を表す「ゾーンに入る」という言葉、多くの画家が言われる「キャンバスから浮かび上がるように絵がおのずから生まれてくるように感じられる時がある」という言葉...。それらを実感として受け止めることは出来ませんが、何かしら共通する側面があるのではないかと私には感じられるのです。
 外山さんの論文はその後、ある意味で神秘主義的な方向への広がりを感じるのですが、私はむしろ中島さんが前回のお手紙でも少し触れられた「環世界」とその移行という視点から考察することはできないかという思いがあります。
 私もあまり専門的なことは分かりませんが「環世界」の概念を提唱した理論生物学者ユクスキュルによれば、どんな生物もその生物なりの世界を生きていて、人間、魚、カタツムリ、ダニでは、瞬間として知覚できる時間の長さはそれぞれ異なり、全く別の時間を生きているといいます。また、人間は空間把握をもっぱら視覚に頼っていますが、視覚を持たない生物は全く異なった仕方で空間を把握しており、それらの生物にとっては視覚を持たなくとも何も不自由なことはなく、困ったこともないのだといいます。私達人間も、犬のような鋭い嗅覚は持ち合わせていませんし、蝙蝠のように超音波を発しながら暗闇の空間を滑空する事も出来ませんが、人間に備わった能力の範囲で世界を把握し、生きていることと同じなのでしょうね。
 ユクスキュルはそれを「環世界」と名付けたわけですが、人間も一つの共通した環世界を生きているわけではなく、各々が異なる環世界を生きているように思うのです。そしてその環世界は常に更新され変化してゆくもののようにも感じます。意識的な訓練を経て、あるいは思いがけない事故や病、老いなどを通して知覚の部分的な欠損が起きた時、それらを補う形で別の器官が研ぎ澄まされ、あらたな環世界に移行してゆくこともあるかもしれません。
 知覚の拡張や収縮、環世界の移行を通じて、生物は各々その時々の状況に応じてバランスを調整し、整った状態にあろうとしているように感じられるのですが、私は先程も書きましたが、そのような姿に触れるのが好きなのですね。それは、他の環世界に注意深く触れることで、自分自身の知覚のプロセスがほぐされ、より腑に落ちる状態への移行の可能性が感じられるからかもしれません。人間は、ともすると意識が邪魔をして自身の状態の変化に気づかず、無理を来たしてしまうことも多いように思いますので。しかし人間の中にも生物として正直な佇まいの方もおられますので、そういった方に出会いますと、とても嬉しい気持ちになりますね。
 気がつけば、とりとめもなく随分と連ねてしまいました。紙面も尽きてまいりましたので、本日はこの辺りで収めさせていただきたいと思います。結びに、前回のお手紙の中で、私の受動的身体の経験について、ダンスと庭先の草木との対話に通じる感性があるのではないかと書かれていましたが、確かにそう感じる部分もございます。そのニュアンスを言語化することは難しいのですが、言葉の世界では少年時代より、季節の繊細なうつろいに人の心を重ね、深い余情を見出してゆく和歌の世界に、響き合うものを感じておりました。数年前に好きが高じて八代集9500首余りの中から自分の心に殊に響いている歌を300首撰び、一冊の本に編纂してしまったことがあります。個人的に座右に置いておきたいという思いから綴ったものですので、偏りが甚だしいですが、恐縮ながら同封させていただきました。もしよろしければご笑覧ください。
 それでは、朝晩は徐々に冷え込む日も増えてまいりましたので、どうぞご自愛下さいませ。
敬具

     2019年9月28日

ボヴェ太郎

 中島那奈子 様
 

シモーヌ・フォルティ(Simone Forti、1935- )ダンサー、振付家、著述家。1950年代から活動を始め、ポストモダンダンスを創始し推進した一人として後進に大きな影響を与えている。

ユクスキュル(Jakob Johann Uexküll、1864~1944)ドイツの理論生物学者。人間中心の見方を排し、動物には生活主体として知覚し働きかける特有の環境世界があると説き、生物行動学への道を開いた。

なかじま・ななこ

ダンス研究者、ダンスドラマトゥルク。博士(舞踊学)。各地の大学で教鞭をとりながら、ドラマトゥルクとして国内外で活躍し、2017年北米ドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞受賞。日本舞踊宗家藤間流師範。老いと踊りの研究も並行して進め、近作に「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都・春秋座2017)、老いた革命バレエダンサーの新作(演出・振付メンファン・ワン、烏鎮演劇祭2019)がある。編著にThe Aging Body in Dance (co-edit. by Gabriele Brandstetter, Routledge, 2017)、『老いと踊り』(共編外山紀久子、勁草書房、2019年)。現在はベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授2019/20として、2月11日に「ダンスアーカイブボックスベルリン」をベルリン芸術アカデミーで上演する。

​Boveたろう

舞踊家・振付家。1981年生まれ。空間の〈ゆらぎ〉を知覚し、感応してゆく「聴く」身体をコンセプトに、歴史的建造物や庭園、美術館等、様々な空間で創作を行っている。能楽との共演をはじめ、〈ことば〉や〈音〉によって立ちあがる空間に着目した作品も多く手がけている。主な作品に、『不在の痕跡』、『implication』、『余白の辺縁』、『Texture Regained−記憶の肌理−』、『Fragments−枕草子−』、『響−J.S.Bach Messe h-moll−』、『百代の過客』等。能楽との共演作品に、『消息の風景−能《杜若》−』、『Reflection−能《井筒》−』、『縹渺の露−能《野宮》−』、『寂寥の薫−能《楊貴妃》−』等。劇場作品の他、『微か』(世田谷美術館)、「カンディンスキー展」(京都国立近代美術館)における公演、西ジャワの古典歌曲トゥンバン・スンダとの共演、ルイ・ヴィトンとの共同制作による映像作品等がある。

【書評】中島那奈子, 外山紀久子編著『老いと踊り』を読む
​ 池内靖子 
 

 本書は、「老いと踊り」という、これまでほとんど探究されてこなかったテーマで開催された2014年東京ドイツ文化センターでの国際シンポジウムの議論を出発点とし、それ以降、参加者たちが中心になってさらに掘り下げた論考を執筆し収録している。ドイツ、英国、米国、日本の、芸術や哲学、舞踊史などの研究者たちによる「老いと踊り」をめぐる論考は、それぞれ刺激的で興味深く読み応えがあった。また、その国際シンポジウムと関連して催された舞踊家、アーティストたちの公演やレクチャー、鼎談も、「老いと踊り」というテーマが孕む豊かで魅力的な可能性に気づかせてくれる。


 本書の構成は、編者の一人、中島那奈子による序章に始まり、次いで、第1部「踊りの遺産」、第II部「伝統での老いとポスト・ジェネレーション」、第III部「グローバル化する老いのドラマトゥルギ―」から成り、その後に番外編として、もう一人の編者、外山紀久子の第12章を配置し、多様な主題についてそれぞれ深く鋭い視点で考察する大部な論集となっている。


 この3部構成、序章と番外編の章を含めて13編に及ぶ論考(鼎談、講演、解題を含む)全体について、書評を書くことはあまりにも過大な課題であり、とうてい浅学な私の力には負えるものではないことをまずお断りしておきたい。ここでは、きわめて不十分な感想文程度のメモでしかないが、私自身の関心に引きつけて、気づいた点、面白く感じた点に触れておきたい。

 

「序章の射程」


 まず、中島那奈子の序章「老いのパフォーマティヴィティ――老いる踊り手、老いない踊り」は、「老いと踊り」というテーマで編まれた論集全体に対する問題提起にふさわしく、周到で緻密な論考になっている。


 「老いの主体」を考えるとき、そもそも「主体」をどう捉えるのか、ということが問題になる。序章において、この「主体」をめぐる議論から始まるのは偶然ではない。西欧思想や哲学における主体をめぐる議論に馴染んでいる人には、「主体は固定されたものではなく、言語による呼びかけの行為によってパフォーマティヴに構築される」という捉え方は、よく知られている。


 中島が的確に整理するように、「パフォーマティヴ(行為遂行的)」という概念は、もともと言語哲学者J・L・オ―スティンのスピーチアクト理論に用いられたもので、デリダの脱構築を経て注目された。しかし、その概念の最もラディカルな活用は、ジェンダーの理論家、哲学者のジュディス・バトラーによる主体をめぐる議論にある。バトラーは、言語行為による絶えざる主体構築の過程に、むしろ、アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」の理論を接合し、「発話のパフォーマティヴな力をこそ問題にする」。


 アルチュセールの「呼びかけ」は、通りで警官に「おい、そこのお前」と呼びかけられ思わず振り向いてしまい自己を確認するという例にみられるように、宗教的権威であれ、法的権威であれ、人はくり返し呼びかけられ、名づけられる行為を通して自身(主体)を生産する。主体は初めから本質的に在るのではなく、何度も呼びかけられることで、「社会的文脈に組み込まれていき(従属化)、その社会的文脈において主体として形成(主体化)される」。


 バトラーの理論化がラディカルなのは、「抑圧的な規範や制度」のパフォーマティヴな「構成力」を問題化したことにあり、主体は、それ以外のものが否定・排除されていくことで成立するという、主体形成の逆説的な在りように注目したことにある。その際、バトラーは、否定・排除されるものを「構成的外部」と呼んでいるが、こうで「ある」ものはこうで「ない」ものに依存して成り立つという、矛盾に満ちた主体形成であることにこそ可能性を見ている。つまり、基盤的で自律的、統一的な「主体」が予め措定されることはない。ポスト構造主義的な、脱構築ともいうべき「主体」概念の捉え方である。このことは、社会の抑圧的規範の呼びかけの反復と強制に対する「抵抗」の可能性についての捉え直しも浮上させる。 


 バトラーの「主体」の問題化は、主体なきフェミニズムではないかと批判され、フェミニズムにおける主体をめぐる論争を引き起こしたが、バトラーは、ジェンダーを問題化し、むしろ「主体」概念を自律的で、首尾一貫した、一枚岩的な捉え方から解放するものだった。

 
 「老いと踊り」を考察する上で、バトラーによる「主体」の理論化がどのように関連してくるのか、興味深い。


 中島は、この「言語論におけるパラダイムシフトによって生じたパフォーマティヴな主体構築と、近代の枠組みの再設定」を目指し、「三つの転回、技術的、美学的、そして芸術的な転回」として論点を整理している。「成功や目的を至上命題としない老いのあり方をもって、ダンスの既存の制度とダンスにおける美学」への、「新たな挑戦」を仕掛ける」という野心的な論考である。
 

 一つ目、「技術的な転回――生政治と老い」では、中島は、まず、フーコーの「生政治」という概念に触れている。「生政治」とは、フーコーが近代以降の政治権力による統治を定義したものである。それは、「出生・死亡率の統制、予防接種、伝染病者の隔離などの公衆衛生、健康への配慮を通し、人間の生そのものを管理」し、より効率的に「国民」を包摂しつつ産出する近代の国民国家の政治を「殺す権力から生かす権力へ」と捉えなおすラディカル権力批判である。
 

 中島はさらに、フーコーを批判的に継承したアガンベンに触れた。アガンベンは、「生政治」を西洋政治の古代からの特徴として捉え、古代ギリシャで生を意味した「ビオス」と「ゾーエー」(「ポリス的生/自然な生」)を用いて、ゾーエ―に放擲された「ホモ・サケル(聖なる人)」を摘出している。つまり、ホモ・サケルとは、「殺害しても罪に問われることはなく、殺して神への犠牲に供することもできない人々」を指し、暴力にさらされ、死へと露出された「剥き出しの生」を生きる。現代においても、戦争や紛争によっておびただしく生み出される難民がまさにこの「殺害可能で犠牲化不可能」な存在としてグローバルに排除・産出されており、アガンベンの生政治論はその問題を論じているが、この論集では、老いの生と重ねて考察している。つまり、中島はこの拡張された生政治論を援用し、「新しいリベラルな優生学」である「ゲノム編集まで含めた医療技術を受けられる消費者が誘導する優生学」に注目し、「老いる身体」を現代の医療技術による展開によって「引き伸ばされた剥き出しの生」と捉えるのである。そして中島は、「踊り」が本来「生の喜びをうたう」ものであることをふまえつつ、その観点から「医療技術や生政治の枠組みを転回させる、強さや効率性を至上命題としない主体、老いゆく主体のあり方を、提示できないだろうか」と問う。
 

 二つ目の「美学的転回――老いの美学」では、中島はまず、哲学的、文化的に老いが美の対極に捉えられてきたことを振り返っている。美学では、醜さや「吐き気を催させるもの」が美の対極として位置づけられてきたが、ドイツ文学者のヴィンフリート・メニングハウスは、ここでもデリダの脱構築を受けて、「美術における美と考えられるものは、逆説的ではあるが、美術の外側にある美とはふだん考えられないものを基盤にしている」と指摘する。
 

 主体構築の議論において、バトラーが論じた「構成的外部」と同じく、脱構築を思わせる議論が興味深い。
 

 「<美的なもの>の究極の他者が、同時に、美のもっとも固有の傾向として回帰してくる」とメニングハウスは説明し、そこでは、吐き気を催させるものとして、「傷や皮膚、開口部といった身体の部位、悪臭や腐敗、排泄物や性行為、老人や病人、女性らしいもの」があげられているという。「老婆」の引用について、「吐き気を催させるものは、男性であるこういった理論家の視点からみた、高齢であるとともに女性であるという特徴」であると中島は指摘し、同時に、「美から排除されることで、美の概念を形成することに寄与していた吐き気を催すもの=老婆は、反美学的美の再評価の中で、美学の範疇に包含されるのである」ことも指摘している。これは、現代のアーティスト、やなぎみわが逆手に取って、「老女」のポートレイトの制作実践を続けている例に見ることができるだろう。
 

 三つ目の「芸術的転回――老いと踊りの文化横断的研究」では、中島は、1高齢化するポストモダン、2日本の舞踊での老い、3大野一雄の踊りの3つの項目に分けて論じている。


 まず、60年代、70年代の米国において西洋型芸術舞踊の枠組みに抵抗して日常的な身体の身振りや動きを捉えなおしたジャドソン教会派のポストモダンダンスの担い手たちが高齢化している状況に触れ、それと対比的に日本舞踊における老いについて考察している。その際、中島は「ジャドソン教会派の問いかけは、ダンサーの身体の範囲を超えることはあっても、健康で健常な白人の身体という範囲を超えることはなかった」と指摘している。さらに、「老いたダンサーや障がいのあるダンサーは登場しなかった」ことも記している。


 しかし、障がいのあるダンサーの登場という点について言えば、日本の伝統的な舞踊の制度においても、いまだに誕生していないと言えるのではないか。もちろん、日本の伝統的な舞踊制度の外を見るなら、障がい者の「踊り」は登場していると言えないことはない。1983年以来、身体障碍者である金満里が全員身障者である仲間とともに立ち上げた「劇団態変」があり、筆者は、近現代の演劇の枠組みを越える身体表現として論じたことがある(2008)。「劇団」という名称を掲げてはいるが、セリフを排し身障者たちが這い舞う身体表現であり、金満里自身、舞踏家大野一雄とともにコラボレーションをしていくつかの舞台作品を創り上げている、大野一雄は、この論集の中では、特権的な老いの踊り手として考察の対象になっており、舞踏そのものが日本の伝統的舞踊芸術の制度からはみ出して誕生したことを考えると、金満里の身体表現についても、「老いと踊り」のテーマのもとにおいて捉えなおすことができるのではないか。


 中島も指摘しているように、「日本では、障がいをもつ身体が辺境に置かれるのとは対照的に、修業を経て訓練された老いる身体は高く評価される傾向がある」。つまり、「老いは、より高次の能力に至る必然の過程だと考えられ、名人と認められるには、時に高齢である必要さえあるかもしれない。重要無形文化財各個指定(もしくは人間国宝)に認定される。老いの美意識を支える芸術的制度と、社会的な構造がある」。その社会的構造は強固で、日本における伝統的な家制度に倣って、舞踊においても、その階級的、世襲的関係を伴う「家元制」が継続していることはよく知られている」。能役者世阿弥の教えに見られるように、「老いの美を慈しむ芸術的言説が多く見られることも、老いる身体の価値を支えている」。
しかし、大野一雄の舞踏は、日本におけるそのような言説に支えられたというよりは、「1980年のフランス・ナンシ―国際演劇祭に73歳でデビューして以来」、欧米において衝撃をもって受けとめられ、「老いてもなお美しく踊り続けるダンサーの象徴」として高く評価された。中島は、「もし欧米の古典的なダンス・テクニックが、<老い>を身体能力やコントロール、意識的思考の喪失とするなら、老いて踊る日本の舞踊家は、そのダンスの美学とポリティクスに抵抗するものとなる」と述べているが、むしろ、既存の伝統的な日本舞踊というジャンルや制度から離脱して踊りつづけていたことが大野一雄の舞踏の根底にあることを検証する必要があるように思われる。

 
 中島はまた、「<老い>を医療や福祉の問題だけではなく、舞踊において捉えることは、私たちを覆い尽くす西洋化という日本の近代化以後の枠組みを、複眼的に見直すことではないか。その歴史的拘束から自らの身体を脱植民地化し、「踊らないことが出来る」力で、軽やかに飛び越えること、それが日本の舞踊から、<老い>の問題に投げかける大きな示唆である」と記している。これも重要な論点であるが、日本舞踊における「老い」の肯定的な捉え方から、このように言えるだろうか。西洋だけでなく、日本の伝統舞踊においても、ヴィルトオジティvirtuosity「名人芸」という、芸術的達成が、長い厳しい鍛錬を経て達成されるものである。逆に、欧米においては、60年代、70年代のカウンターカルチャーの中で、ポストモダンダンスにより、ヴィルトオジティvirtuosityに抗う動きがあったこと、近代的な身体観、芸術観に対する異議申し立てがあったことを見る必要があるだろう。

 

第1部「踊りの遺産」

 

 ガブリエレ・ブラントシュタッターによる第1章の「制作と稽古と継承のはざま――ピナ・バウシュの ≪春の祭典≫が遺したもの」では、ピナ・バウシュの≪春の祭典≫が遺したものとその継承について論じている。バウシュの卓越した振り付けによる作品がどのように継承されるのか、興味深い論考となっている。


 特に印象に残ったのは、バウシュの作品の「死後の生」が、「反―復、再―生、再―刻印といった多層的な行為の中から、力(Kraft)と、感情的衝撃を引き出している」こと、「老いと譲渡は(力とダイナミクスの)喪失の旅ではなく、エネルギーを変化させるプロセスである」と述べていることだ。それだけでなく、「伝達の物語は、反復ばかりではなく――反復の「反」において――抵抗をも生み出す」というブラントシュタッターの論点は、バウシュの作品と振り付けをなぞるのではなく、遺産を参照しつつ、「引用を含む改作の中で≪春の祭典≫に対する問いを立てたりする、若い世代のダンサーや振付家の抵抗可能性」に注目する重要な指摘となっている。


 この論点は、バウシュという稀有なダンサー、振付家の継承の在り方だけに限定される問題ではないだろう。老いたダンサーの遺作に対峙し、新しい作品を生み出す自由、抵抗可能性は、日本の伝統的な舞踊においてはたしてどのように担保されうるのか、という問いとしても考える必要があるように思われる。

 貫成人による、第2章の「老いと舞踊の哲学――絶対的他者としての老者の舞」は、欧米哲学や東洋思想における「老い」の捉え方を広く渉猟し、整理している。フーコーの生政治論をふまえ、アガンベンの「権力の標的は、いまや、単に社会的生としての「ビオス」だけではなく、生物的生としての「ゾーエ」にも及ぶ」という論点を引いた。


 さらに老者について、鷲田清一の、「(反世界)」「“この世界”の外部への感受性」をもち、「世界を別様にも表象しうる意味の空間」をひらく者」であるという論点や、尼ケ崎彬の、「人生から超越した死者の目」、能におけるような「他界からの視線」であるという論点などを参照し、「社会的拘束の外部にあるがゆえに純粋な、神に等しい存在」「隠者」「翁」」であると論じている。


 貫はさらに、老者の状況と立ち位置については、大野一雄の舞踊に引きつけて、レヴィナスの言う「絶対的他者」を見出した。


 絶対的無力であることを包み隠さずみせる、無垢なその存在は、構築された「近代的主体」「個人という鎧」に守られた観客の鎧に槍となって突き刺さり、観者をも武装解除する。…ただ存在するだけで、大野は異界からの視線を観客に突きつける。それは、現行のすべての秩序を転覆する、(レヴィナスの「顔」に似た)絶対的他者である。


 こうして、貫はその哲学的考察において、最も弱き存在である老者だからこそ実現できるもの、「それは舞踊の根源、人間の条件の表出であり、現実の解体なのである」と結論づけている。 

 ラムゼイ・バートによる第4章「コンテンポラリーダンス、長寿、人生の意味」は、第1章のブラントシュタッターの論点「抵抗の可能性」をイヴォンヌ・レイナ―の実践において検証する論考となっている。60年代、70年代のカウンターカルチャーの中で生み出されたダンスの実践は、単に美学的な革新だけでなく、その時代の支配的経済状況、消費主義、ヴェトナム反戦といった歴史的文脈のなかで、それらの状況と対峙するなかで踊り手たちが生み出したものであることを論じているのは重要である。「この反消費主義的な運動は、ヴェトナム戦争や西欧の旧植民地で起こっていた戦争に反対する政治上の既成勢力への反権威主義的な不信と並走していた。同時代に現れた踊る身体を呈示する新しい方法は、このような批判に直接的に関係していた」とバートは述べている。


 ≪トリオA≫の完成版を初めて通して上演したプログラムのために書かれたレイナ―の長い宣言文(1968年4月)や、「ヴェトナム戦争への抗議としてレイナ―が行った≪回復期のダンス(Convalescent Dance)≫と銘打たれた≪トリオA≫のソロヴァージョン」について検証し「その探求から後に社会的かつ政治的な新しい異議申し立てに結びつく文化的な実践が生まれた」バートは論じている。


 バートの論考でとりわけ印象に残ったのは、レイナ―が、1965年の「ノ―・マニフェスト」として知られる宣言において、「ヴィルトゥオジティ(超絶技巧)にノ―を!」と書き付けたことに注意を促していることである。「歩行やランニング、静止して立つ、座るというような単調な動きに見られる日常的なるものに向けられる鋭敏な感性は、ヴィルトゥオジティに対する拒絶と見なすことができる」。


 またバートは、ブラウンやハルプリン、バクストン、レイナ―、その他のダンサーたちは、60年代、70年代にダンサーの訓練に関して新しい考えをもたらし、「スペクタクルや名人芸に対抗して自ら起こした美学的革命を通じて、年齢に応じて実践を変化させていくことが可能だった」と記している。このことは、同時代における日本の新しい踊り、舞踏とも関連して検証すべき問題であるように思われる。

第II部「伝統での老いとポスト・ジェネレーション」


 尼ケ崎彬の第7章「日本における「老い」と「踊り」」は、まず日本の伝統文化(とりわけ舞踊劇)における「老い」のイメージについて考察し、そののち大野一雄を例に、「老いた身体」が観客にどのような意味を発見させるのか」を見る論考である。


 「老い」とは何か、という点については、「衰退」、「年功」、「余生」という三つの視点から整理している。ここでも、日本においては「老い」に伴う衰えをむしろ肯定的に捉える思想があり、「わびさび」「枯れる」「しゃれた」「すい」などの言葉を確認している。結論的には、「社会が要求する「常識」や「義務」など、無意識のうちに従っていた規範から解放され、まさに「自由」を獲得する」。それは、「一種の死者の目」であり、「社会の外部」にある存在であるという。
 

 最後に、尼ケ崎は、「老いた身体――大野一雄の場合」、として、「アスリートのような身体の超絶技巧でもなく、役者のようなキャラクターや心理を表現する演技術でもない。むしろ自分の内面を無にすることによって何かを自分に降臨させるような技術である」と述べている。
 

 また、大野が石井達朗との対談で、「わたしの踊りの原点」として≪ディヴィーヌ抄≫(1960)での体験について、土方の依頼で男娼ディヴィーヌを演じた大野が、「死と生のはざまを歩いている感じがした」と語っていることに触れている。筆者もこのインタビューに注目し、「男娼について切実に考えたのは後のことですが、肉体とか精神とか、命に触れる、魂に触れる、命の原点に触れる、そういうものが男娼かな、と。命の原点に触れるために自分は男娼を踊ったんですね」という大野の言葉を引用したことがある。60年代のアングラ演劇や舞踏においては、肉体の反乱は、性の反乱・氾濫でもあり、性の反乱に反社会性、抵抗性を読み込もうとした表現は際立っていた。女優や男娼の性的、身体表現は、象徴的には、人間の生命、存在の根源に迫る表現として深くとらえ返されていたといってもよい。同時に、女優や男娼は、性的存在として特化されつつ、その性的有徴性ゆえに近代市民社会をはみ出す侵犯性を、もつ存在として、均質化された効率的な近代市民社会を転覆する象徴的・本質的な力を担うよう期待(ロマン化)されているとみることもできる。(池内、2008)
 

 性的な規範や言説から自由な「老いの踊り」を論ずる本論集の議論からはズレてしまうが、男娼ディヴィーヌを踊ったことを原点と捉えた大野の衝撃的体験が含み持つものを、当時の舞踏の歴史的文脈に即して捉え直す必要があるだろう。

 

第III部グローバル化する老いのダンスドラマトゥルギ―
 

 やなぎみわの第8章「老女と少女の物語」として、2014年5月23日東京ドイツ文化センターでの国際シンポジウム「老いと踊り」でのやなぎみわによるレクチャーを中島那奈子が再構成したものである。やなぎは、写真で「マイ・グランドマザーズ」年をとった女性のポートレイトシリーズを制作している。続けて、「グランドド―タ―ズ」、「フェアリーテール」、「ウィンドスウェプト・ウィメン・シリーズ」といった演劇的な枠組みを用いた。さらに、日本の神話や昔話に登場する母神や老女の表象について探査し、哀れで淋しい、諦念の女性像に飽き足らず、むしろエネルギーあふれる、パワフルな老女像を新たに作り出している。

 鎌田東二の、第9章「日本の神話と儀礼における翁童身体と舞踊」では、世阿弥の『風姿花伝』を引きつつ、「申楽」(能)の三つの起源、①神道起源 ②仏教起源 ③家伝起源について記す論考は、日本の宗教史や、芸能史に関する知的素養が欠落している筆者には難解であったが、「子どものひ弱さや繊細性、老人の脆弱性など、その「弱さ」を知ることは、これからの人類文化と人類文明の基層認識として重要な視点となる」、という指摘は他の論考とも重なり、肯定できる。それだけでなく、最後に触れられた「隔世遺伝としての能と舞踏」という論点は、にわかに同意できないが、十分刺激的であった。

 

 秋田出身の土方巽の暗黒舞踏を、蹲る民俗芸能や歌舞伎などの身体技法を土方流に換骨奪胎しているものと見ることもできなくはない。が、しかし、舞踊史的・芸能史的・日本思想史的なパースペクティブから見ると、「舞踏とは命がけで突っ立っている死体だ」という土方の舞踏身体論は、外連味たっぷりに生体の肉体性を露出させる歌舞伎的身体よりも、むしろこの世阿弥的「幽玄的皮肉骨身体」観を引き継いでいる。世阿弥の創始した複式夢幻能は、一面、亡霊舞踊とも妖怪舞踊ともいえるが、能の舞台に浮かび上がる亡霊的身体は「突っ立っている死体」を呼び出そうとした土方暗黒舞踏と直結しているように見える。

 

 鎌田がその論拠とするのは、暗黒舞踏の経験者から聞いた、白目を剥いて踊るという暗黒舞踏の身体訓練である。

 白目を剥くことで日常のモノの見方ではなくなり、脳を変化させるという。その時、日常身体ではない、何モノか(仮想死体)に成る。白目をむくと、まず角が生え、背中に翼か甲羅かができたりするという。その中でのあえかでかすかな動きが、身体から見えない煙や蒸気やアウラを発する感じだというのである。そして、暗黒舞踏手の身体感覚としては、内臓や肉はあってもそれがない感覚、骨にベールが包まれているだけの感覚となる。 
 

 さらに、能は顔面に比して極めて小さく視野も狭窄した面(おもて)を懸けることを含め、身心の内向性を、すなわち「心の闇」を前景化している芸能であると対比する。「白目を剥いた暗黒舞踏舎の脳神経が日常とは違う回路を開くように、面に隠された能役者の内面は非日常の異空間と「心の闇」に開かれていく」。

 古代の神楽や、中世の猿楽について深く掘り下げて考察した後、鎌田は、「近世の歌舞伎を飛び越えて、中世に生まれた能が現代のコンテンポラリーダンスに多大な影響を与えた暗黒舞踏につながっていると考えられる」と、きわめて興味深い結論を付け加えている。

 ここで、筆者は、その見解とは異なる論考をみておきたい。國吉和子の第11章「大野慶人のレクチャー・パフォーマンス≪命の姿≫について――「老い」と舞踏はどこで出会う?」という國吉の論考は、「老人のように四肢の屈まった、運動量の少ない不自由な動きがその特徴のように語られることの多い舞踏」と、本論集のテーマ「老い」との接点を探っている。


 舞踏を大野慶人の土方巽との出会いから考察しながら、國吉が注目するのは、土方の暗黒舞踏における「衰弱体」である。それは、「暗黒舞踏が誕生する源であり、最後に到達する身体を示す言葉といってもよい」という。衰弱は衰え弱るという一般的な意味でも使われているが、國吉は、「東洋的美意識が作り上げた「仙骨」の美を求めたわけでもない」と、「古典芸能の老体とははっきりと区別」される土方の言葉を引く。

 

 これは日本の古典伝統にある<翁>などのように脱水した、枯れとかわびとか言われる一種の身体を名指して言っているのではありません。そうではなくて、猛烈な衰弱体とでも言うべきものが私の舞踏の中には必要だったんです。(土方巽、1985年、講演より)

 

 さらに國吉は、土方が『日本霊異記』における景戒の火葬の夢の話を、「自分が死んで焼かれる場面を景戒自身が見ている」をいう話として、厳しい吹雪の夜に突然、家の板戸を開けて立つ「風だるま」の姿を重ねて語った土方の言葉も引用している。

 

 その顔は何か、死んだ後の異界をのぞいて来た顔なんですね。お面みたいになってるわけです。生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人なんです。(同前)

 この土方の言葉を受けて、國吉は、「つまり自分の死んでいくところ、究極の私の姿を他ならぬ自分が見ていること、死と生が当人の中で同時に起こっている、このことがその人の現れを異様な姿にしている」と整理し、衰弱体とは、「文字通り衰え弱った体、つまり病者や老衰した体を表しているのではなくて、すでに自分の体がすっかり見られてしまっている、その状態を何者かが自分の体に棲み込んでいるように体が意識されていること」と捉えなおす。國吉が衰弱体をめぐる土方の想いをこのようにたどることで、私たちにも舞踏という踊りの思想を深く捉えなおすことができるように思われる。

 
 先に触れたように、鎌田は、「修験的身心変容技法といえる「能=申楽」の身心変容技法が「暗黒舞踏」に間歇遺伝している」と述べている。たしかに土方の舞踏における「修験的身心変容技法修験的身心変容技法」を考慮すると、能と舞踏には共通性がある。鎌田が指摘するように、土方の暗黒舞踏は、複式夢幻能の亡霊にも似て、人外のモノになることを志向する。能もまた、「人であって人でない霊物というモノになることを志向する芸能である。能も暗黒舞踏も、その舞踊の速度はきわめて遅く緩慢で、動きも最小限、その身体ムーヴメントは抽象化されている」という考察には頷かされる。

 

 しかし、能の翁のような脱水し枯れた身体ではなく、「猛烈な衰弱体とでも言うべきもの」が必要だった」という、國吉が引いた土方自身の言葉は、本論集のテーマ「老いと踊り」を掘り下げて考察する上できわめて重要であるように思われる。
 

 もう一つ指摘しておきたいのは、土方と大野はドイツのモダンダンスであるノイエ・タンツの影響を受けてダンスを始めたことであり、戦後の彼らのダンスエクスペリメントにおける白塗りや、裸体、異装といった挑発的な踊りは、日本の伝統的な舞踊界からは異端視されたということ、野蛮で、テクニックを持っていない素人の踊り、と蔑視されていたということである。しかしこれは、日本においても60年代、70年代には、労働者だけでなく、学生や市民が安保闘争やヴェトナム反戦の運動を活発化した状況にあって、美術、音楽、演劇などの芸術分野を横断的に革新する動きがあったことを見る必要がある。世界の同時多発的な若者たちのカウンターカルチャー的な、既存の制度化された表現、ダンスなどの枠組みからはみ出し、反乱、挑戦する動きである。土方の舞踏にしろ、大野の舞踏にしろ、美と醜、調和と過剰、西欧近代と土着・前近代、といった二抗対立の枠組みの境界線を揺さぶり、他なるものに浸潤された混沌とした身体を生きる、その意味でも、「猛烈な衰弱体」を捉えなおすことができるのではないか。

 中島那奈子による、第10章の「老いを巡るダンスドラマトゥルギ― ――ライムント・ホーゲの終わりなき≪An Evening with Judy≫」は、ホーゲのパフォーマンスについて、「文化横断的な美学とジェンダー構築、老いという視点から上演分析」を行っている。 
 

 中島がホーゲの≪An Evening with Judy≫に見るのは、次のようなダンス・パフォーマンスである。

異なった人種、訓練のレベル、そしてセクシュアリティをもつ身体が、技巧の優劣や家父長制のバイヤス抜きで、並列して展示される。ホーゲ自身もダンスの訓練を受けていないダンサーであり、ダンステクニックの優劣は、ここでは個々の特徴の一部となり、ダンスする身体の優劣をつけない。決まりきった力関係の代わりに、ここでは儀式的な動きが、日本の舞台芸術の美学とともに、作品の中で展開されていく。

とりわけ中島は、伝統的な日本の美意識がホーゲの簡素な創作スタイルに影響を与えていることを指摘している。「ホーゲの作品で、ジェンダーやパフォーマーの人格を並べて提示する手法は、芸という方法論や日本の伝統的演劇における美意識と呼応し、それは他の範疇を否定することなくそれに積み重ねていくものである」とし、渡辺保による日本舞踊における「三人の別々の名前をもつ私がいるという女形の知覚的モデル」を援用し、ホーゲの作品の多層的な構造について論じている。


 同時に、中島は、「ホーゲが舞台で彼自身を提示する際には、障がい者や同性愛者など、特定の身体が生きるに値しないとして抹殺されたナチス時代の記憶を思い起こさせる」ものであり、「傷つき、変形する身体を含めて、様々な身体がダンスに存在し得る」ことを「欧米の実験的、コンテンポラリーのコンセプチュアルダンスの分野で」提示することの重要性に注目している。さまざまな文化に横断的に共通して排除・否認される現実に対峙し抗う身体自身が担う表現は、「尋常でない解放力」(外山紀久子)を持っているように思われる。

「番外編 気の身体論の射程」


 番外編に置かれた、この論集のもう一人の編者である外山紀久子の第12章「旅立ちの日のための「音楽」(ダンスも含む)」は、実践/臨床美学としてのタナトロジー(死生学)の可能性を示唆する事例が渉猟され、「老いと踊り」のテーマについて、「古代の「音楽」=ムーシケーという概念が包含していたという魂のケアや浄化としての哲学から宇宙論にまで及ぶ射程」を含んで考察されている。筆者には未知の分野と概念を豊富に駆使した論考で理解することは困難であったが、言葉を選びていねいに解きほぐす語り口に惹きつけられた。


 まず印象深かったのは、1960~70年代のニューヨークに出現し日常的な身体の動きを取り込んだポストモダンダンスについての外山の評価である。

 

 同時期のミニマルアートによる(純粋視覚担体としての「観客」「観者」に代わる)「身体的主体」の発見とも連動し、抽象的・無時間的な、観念のなかの、他と代替可能な身体――舞台を構成する素材として磨かれ、加工され、ノイズを除かれた、永遠に若く美しい(という幻想を産出し続ける)身体――ではなく、個別具体的な、「この」身体、この地上で重力の作用を絶えず受けながら、個々の生の不可逆的なプロセス(老・病・死)を辿りつつあるリアルな身体の受容に通ずる道筋を開いた。

 この外山の評価は、すでに高齢のイヴォンヌ・レイナ―が書いた「ダンスにおける痛みの身体」(≪トリオA:トーク付き老いぼれ版≫の公演をふまえた記録)を外山が翻訳している第3章とも関連し、第1章のブラントシュタッターや、第4章のバートと重なる論点を示しているが、1960~70年代のポストモダンダンスにおける「身体的主体」の発見が、「個々の生の不可逆的なプロセス(老・病・死)を辿りつつあるリアルな身体の受容受容」への回路を開いたという評価は、より繊細で魅力的に響く。
 

 もう一つ印象に残ったのは、「ミュージック・タナトロジー」や、「パストラル・ハープ」、「整体」といった概念や実践も、筆者には未知の分野であるが、外山が参照し引用する概念や実践に基づく考察によって、老いゆく身体、主体をめぐる議論が深まってゆくことである。
 

 たとえば、整体は、通常の医療技術と違って、「身体の内側からより良い反応と変化を誘発する」もので、身体の内側の響きを聞くという感覚で、それも、「耳で聞くというよりは、<全身で聞く>という感覚」が重要視される、というふうに、「聞く」ということ一つ取っても、整体という思想と実践が深く捉えられている。
 

 「気」の概念は、「プネウマ」(息、呼吸、吸気、風、雲…)に相当するのが古代中国および日本における概念であり、それは「人間の身体に宿る活力、力、精神力であるとともに、世界もしくは天地の間に充ちる力である」という小川侃の言葉や、「気」「プネウマ」とそれに準ずる微細エネルギー(「バイオ・コスミック・エネルギー」)について古代医学の展開と関連させて論じる永沢哲の言葉、そして、東洋医学ではいわゆる「経路系のシステム」=解剖学的に認知できる「客観的身体」には属さず、「生体にのみ見出される独特なエネルギー回路」として「気」の回路が考えられ、修行や武術/瞑想の訓練のなかでも重要視されている、と論じる湯浅泰雄の言葉などを例に挙げつつ、外山は、「近代的な物心二分法とは原理的にちがった世界観・人間観」を示唆するものであると整理している。


 東洋だけでなく西洋でも古代ギリシアにおいても、小宇宙としての人間が大宇宙と照応する関係にあることを捉えていたが、近代科学によってそのような人間観と世界観を否定してきたことに触れ、外山は、この「古い考え方」を再評価する久山雄甫の議論を援用しながら、踊る「主体」をめぐる問いを掘り下げて考察している。
 

 外山は、「理性的自己(「自我意識」)の支配・制御の及ばないものが「主体」になる」こと、あるいは「(通常の意味での)主体の位置に留まることが不可能となり、「脱主体化」作用が生起する」事態と捉えているが、序章で中島がバトラーを援用して論じた「主体」構築の議論と並んで興味深い。言語論的転回を受けて、本質としての主体はもはや想定されないというバトラーの脱構築的な主体論は、近代リベラリズムの自律的な主体概念を批判する理論化であるが、ここでの外山の「脱主体化」や、「非自己同一的受動的な在り方」の議論もまた、近代的言説とは異なる主体や身体の在りようについての考察として、関連してくるように思われる。
 

 さらに外山は、土方巽の衰弱体(「自己というものが統一のとれた秩序だったものではなく、自分以外の人格やものによって、すでに浸潤され壊されていること」)を引用しており、踊ることについて、「自己解体の危険を冒しても日常性の澱の底から別の層の大気のなかに生まれ出ようとする生命の跳躍なのだ」と述べている。このことはまた國吉が、土方自身の「猛烈な衰弱体」の定義を受けて、「その状態を何者かが自分の体に棲み込んでいるように体が意識されていること」と考察したこととも関連する。もう一度先に引用した、土方自身の言葉、「生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人」を想い起こすと、私たちはその脱主体化による「ダンス状態」に、他なるものが棲み込んでいる、生きた身体が再生される現場を目撃して戦慄を覚えざるをえないだろう。
 

 外山は、「老いの身体とダンス」についてさらに、野口三千三による「原初生命体感覚」を参照しながら踏みこんだ考察をしている。それは、「眠りの状態が生きものの基本状態である」というラディカルな生命観で、「「眠っている/意識が働かないでいられる時間」をふんだんに恵まれた(人間以外の)動物の生、さらには大地に根を張って安らいでいる植物の生とでもいうべきものに接近し、ビオスよりもゾーエ―の深みに降りている状態」であるという。そしてそこでは、「息=プネウマ=気が媒介する共振の場で、限定された小さな弱々しい動き、時にはただじっと横たわって呼吸しているだけ、いのちの純粋な流れ、宇宙とのハルモニアの回復をただゆったり味わっているだけのダンス」、「旅立ち前の老いの身体がそのままダンスの究極の姿に転ずる微かな道筋」を気の身体論によって解き明かす。
 

 気の身体論によって、微細な生命エネルギーは「万物の始原、宇宙の根本原理」「あらゆる生成と運動の原因」であり、それを介して小宇宙(人間)と大宇宙は照応関係にあるということは、先に触れられているように、人類の古い知であり、きわめて魅力的な考え方である。
 

 外山は最後に、「「制御不可能性」の横溢する動物身体の現前の力」(エリカ・フィッシャー=リヒテ)を、老いた人々の身体の舞台の上での在りようと対比して語ることをためらいつつも、考え始めている。「老人、小さい子ども、さらにハンディキャップを負った「規格外」の身体が舞台上に登場する場合、動物と同じく、「自然的な身体」が「社会的身体」を(ゾーエ―がビオスを)凌駕する瞬間――「根源的な」「神秘的な」「計算不能な」自然の侵入する瞬間」に触れ、「常識・良識的な身体のコードから自分を逸脱させる自由、社会規範(「従順な」身体への強制)に対抗するレジスタンス」でもありえる、と「抵抗」の可能性をも語っている。それが、「白塗りでうさぎの耳をつけて童謡を踊っているおじいさん(大野慶人)」や、ライムント・ホーゲの<ジュディとの夕べ>のパフォーマンスに感じた「尋常でない解放力と無関係ではない」と付記する「研究者」の語りも魅力的だ。
 

 「和解・受容・祈りのスタンスとアウトローな抵抗力・解放力の併存という異常な事態が生起する」ことへの気づきは、たしかに、「老いと踊り」とは?という「迷路」のように入り組んだ問いに対する「開けゴマ!」となり、最も豊かな贈りものであるように思われる。


<付記>この書評の執筆に当たって、拙著『女優の誕生と終焉――パフォーマンスとジェンダー』(2008.平凡社)から論点を引いたことを記しておきたい。

国際シンポジウム「老いと踊り」

https://agingbodyindance.tumblr.com/program_ja

ジョン・ラングショー・オースティン(John Langshaw Austin, 1911 - 1960)日常言語学派とされるイギリスの哲学者。言語行為論speech act theoryの創始者として知られる。

ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956 - ) 現代フェミニズム思想を代表するアメリカ合衆国の哲学者。カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授。著書に『ジェンダー・トラブル』など。フェミニズムをポスト構造主義的に捉え直すことを試み、従来のフェミニズムにありがちな硬直的な論理を、構築的に解釈しなおす「パフォーマティビティ論」で注目される。

生政治 せいせいじ。 Bio-politics

ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben、1942 - )美学から政治哲学まで広範な領域にわたるイタリアの哲学者。「剥き出しの生(Nuda Vita)」は、ゾーエzoeのみが認められてビオスbiosを剥奪された囚人(homo sacer)の生命のありよう。

ヴィンフリート・メニングハウス(Winfried Menninghaus、1952 - )ドイツの美学・哲学者。2013年からフランクフルトのマックス・プランク経験美学研究所所長。『吐き気―ある強烈な感覚の理論と歴史』で古典主義美学における「吐き気」と「美」を考察。

やなぎ みわ(1967 - )神戸市生まれの現代美術家京都造形芸術大学教授

​イヴォンヌ・レイナー「トリオA」の京都でのショーイング記録

https://artscape.jp/report/review/10140616_1735.html

http://www.nanakonakajima.com/rainer/?p=80

小川 侃(おがわ ただし、1945 ‐ )現象学者、哲学者。京都大学名誉教授。現象学を軸に、哲学史を再解釈。また、後期水戸学をも踏まえて、「身」と氣の哲学の体系化を目指している。

永沢哲(ながさわ てつ、1957 - )宗教学者、京都文教大学准教授)。人間の意識、生命、神経系にはらまれている膨大な可能性をひらくことが、主要なテーマ。

湯浅泰雄(ゆあさ やすお、1925 - 2005)哲学者。身体論、気の思想、超心理学、ユング心理学等幅広い知見から宗教と心身に関する考察を深めた。

久山雄甫(ひさやま ゆうほ、1982 - )哲学、神戸大学人文学研究科准教授。ゲーテの「ガイスト(Geist)」、東アジア思想の基礎概念のひとつである「気」の文化比較論研究を進めている。

​野口三千三(のぐち みちぞう、1914 - 98)「野口体操」の創始者。身体を、皮膚に包まれた体液に骨や内臓が浮かんでいる状態と把握し、斬新な身体観に基づく身体の可能性を追求した。

池内靖子(いけうちやすこ)

1947年長崎県生まれ。立命館大学名誉教授。専攻は、演劇論、ジェンダー論。
著書に『フェミニズムと現代演劇』(田畑書店、1994)、『女優の誕生と終焉―パフォーマンスとジェンダー』(平凡社、2008)、共編著に『異郷の身体―テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』(人文書院、2006)。訳書にジュディス・E・バーロウ編『アメリカ女性劇集:1900-1930』(新水社、1988)、テレサ・ハッキョン・チャ著『ディクテ―韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』(青土社、2003)〔Translation of Theresa Hak Kyung Cha’s Dictée,〕。論文に「彼女の語りと身体――琴仙姫の映像作品をめぐって」李静和編『残傷の音―「アジア・政治・アート」の未来へ』(岩波書店、2009年)、「『糸地獄』における対抗的語りと身体性―「母殺し」を超えて」『シアターアーツ』28<小特集 寺山修司と岸田理生>論考③(2006秋号)(発行:AICT[国際演劇評論家協会]日本センター、発売:晩成書房)、”Performances of Masculinity in Angura Theatre: Suzuki Tadashi on the Actress and Sato Makoto’s Abe Sada’s Dogs, ” Performance Paradigm, #2, a journal published jointly by the School of Media, Film and Theatre, UNSW, the School of Creative Arts, University of Melbourne and Performance Space. 2006.8., ”Kishida Rio’s Wasurenagusa (Forget-Me-Not): A Japanese Version of Frank Wedekind’s Lulu. ” Scholz-Cionca & Leiter (eds), Japanese Theatre and the International Stage, 2001.、  ”The ‘Actress’ and Japanese Modernity: Subject, Body, Gaze.” Asian Journal of Women’s Studies, by the Asian Center for Women’s Studies, Ewha Woman’s University Press. Vol.6, No.1, 2000.3 など多数。

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