国際演劇評論家協会
日本センター 関西支部
Act 29
2021.3.31
■ 生きていかざるをえない「わたし」の物語 ―和田ながらと布施安寿香の『祖母の退化論』を観て― 岡田蕗子
■ 瀬戸内海のヘテロトピア ー 文学座『五十四の瞳』 瀧尻浩士
■ 身体に仕込まれた「型」を見る ー mimacul『Katastroke』 竹田真理
■ アダプテーションにおける逸脱と微調整 ー 映像で観る『MISHIMA2020』 藤城孝輔
生きていかざるをえない「わたし」の物語 ―和田ながらと布施安寿香の『祖母の退化論』を観て― 岡田蕗子
撮影:守屋友樹
本作は多和田葉子の小説『雪の練習生』の第一部「祖母の退化論」を布施安寿香(SPAC)が一人芝居として演じたもので、和田ながらが演出を担当した。UrBANGUILDの小さな空間は、布施の息遣いから表情の変化までを丁寧に観客席に伝え、演者と観客の間に親密な上演空間を創り上げていった。
舞台の筋は部分的な省略はあるものの、基本的には原作通りに展開する。原作は、モスクワのサーカスのかつての花形であり現在は事務仕事をしている「わたし」の環境が、自伝を書くことによって大きく変化し、アイデンティティを巡る葛藤が生じる様子が描かれる。「わたし」の姿を通じていくつもの問いが読者に投げかけられていくのだが、「わたし」を人ではなくホッキョクグマとして表象することで解釈の可能性を多様な方向へと開いていく。そのような原作の世界観を語りと動きで布施は丁寧に再構築した。
ただし小説とは異なり、言葉が紡ぐ世界観は視覚的な印象に左右されていく。特に黒い衣装と、そこからのぞく唇と手足の爪に塗られた艶やかな赤色に解釈が誘導された。衣装自体は熊を連想させるシルエットの黒のつなぎ服である。「黒」は、ホッキョクグマが実は黒色の地肌で、毛は透明であり、透明の毛の中で光が乱反射するから「白色」に見えている、ということを踏まえているのだろう。舞台上で「黒」といえば黒子に代表されるように「見えない」とされる色でもある。「見える/見えない」の境界にある衣装は、ホッキョクグマといえば白熊、という単純なイメージを持っていた私にとって、ホッキョクグマという比喩の奥深さを考えさせられるきっかけとなった。
そのようなことを考えながら、舞台を眺めていると、黒色に目が慣れてきて、衣装から外に出ている数少ない地肌の部分に目が向くようになってくる。そこではキッチュでチープなピュアレッドが塗られた唇と手足の爪が、語るたび、動くたびに、ちらちらと舞い踊る。「赤色」に人は何をイメージするだろう。炎の色やリンゴの果実の色、夕焼けの色も赤色だが、私はどうしてもその赤色に「女性」を見てしまった。古典的な記号性に自身の解釈が侵食されている証拠だなあと感じながら、次第に、私の頭の中で、布施が語るホッキョクグマとしての「わたし」に、女性性を巡る様々な自分自身の問題意識が重ねられていった。
例えば、舞台の最初の方では、幼少期の「わたし」が、飼育係のイワンに「サーカスの熊」として二足歩行をするための芸を覚えさせられる過程が語られる。「わたし」は後ろ足にだけ断熱用の器具を付けられた状態で檻の床の下で火を燃やされるのだが、前足が熱で痛くなるために後ろ足で立ち上がることを覚え、その時に言われる言葉も同時に覚え、さらに立ち続けられるときに口に入れられる角砂糖で快楽を覚え、二足歩行ができるようになっていく。
この描写は当然小説の中にもある。舞台を観る前に小説を読んでいた私は、小説の中の「わたし」の姿に、特に女性性を想定しなかった。何者でもない幼い存在が「人」として言葉や振る舞いを習得する過程を思い描いていたのだが、舞台を観ていると、布施の手足の赤色に誘導されるように、人が「女」として仕込まれる過程のように見えていった。
小さな空間での上演は、演者と観客を強く同化させるのかもしれない。布施の語りにつれていかれるように、自分の記憶が呼び覚まされていく。例えば、小学校受験のために通った受験対策の幼児教室で、入試の時に家族構成を聞かれたら「祖父、祖母、父、母、私です」と答えなさいと教えられたこと。なぜ祖母を先にしてはいけないのかと疑問を持つ前に、そう答えると褒められるという経験が、その家族構成の答え方を私に受け入れさせた。無意識下で習得した規律の中に問題が含まれていることは成長と共に自覚したが、「祖母を先にしない」という感覚は懐かしく温かい家族の記憶と共に身体化され、抜きとることが難しい。舞台の上の「わたし」にとっても、イワンは親代わりであり、彼を巡る記憶には調教の痛みが伴うものの優しさやぬくもりも同時に思い出されるという。「わたし」が語る自らを構成している規律のようなものに対するアイロニカルな感覚は、私の中の感覚と重なり合う。
祖母の退化論
2020年12月17・18日
UrBANGUILD(京都)
原作|多和田葉子(『雪の練習生』より)
演出|和田ながら
出演|布施安寿香(SPAC)
多和田葉子『雪の練習生』(新潮社)
2011年刊、2013年新潮文庫
撮影:守屋友樹
布施は女性性にばかり重点を置いて演じているわけではない。基本的には戯画化された元気な動きでホッキョクグマを表現しており、それが「幼児性」と「女性」の繋がりを連想させ、「女子供」という表現が象徴するようなジェンダーの問題を揶揄しているように感じられるのだが、時折、そのような幼児性が消える瞬間がある。例えば、舞台の中盤に「わたし」は自伝が西ドイツで評判になったことで当局に目を付けられ、西ドイツに亡命するのだが、西ドイツの環境では自伝が書けなくなる。食べることでストレスを誤魔化すうちに、満腹感も睡眠欲も感じなくなり、「わたし」は「わたしはどんどん退化していく。寒さの中で芸を磨いて舞台に立って拍手を浴びたい」と苦しさを語る。この語りの部分で布施は背を伸ばしながら足だけを曲げ、するすると背を縮めていく。小さく黒い塊となる布施の姿は、わたしがわたしを見失う様子を簡潔に表現して忘れがたい。ここで「わたし」は女でも子供でもなく、「見える/見えない」の境界に落ち込んでいく精神の塊であった。
「わたし」が二足歩行ができるようになった、つまり「進化」した理由は、イワンに調教されたからであった。調教は痛みを伴う記憶だが、「わたし」にとって調教の過程で形成されたイワンとの関係性や称賛を浴びた経験は自身のアイデンティティを保つ大切な要素でもある。それらの過去から切り離された西ドイツで「退化」していくと苦しむ「わたし」の姿は、アイデンティティが「わたし」が生きた環境と切り離すことができないことや、ある環境で「善」として規定されるものばかりでアイデンティティが形成されてはいないことを伝えているように見えた。黒く小さな塊になる「わたし」を観ながら、ジェンダーを巡る問題も同じかもしれないと思った。進化が良いとか退化が良いとかいう単純な話ではなく、変化の中で生きていかざるをえない、そういう「わたし」が舞台上に居た。
個人的な記憶が「わたし」の物語の上に乗って行く感覚は、多和田の小説を読んでいる段階では無かったものである。物語を文字で読み取り、イメージを起ち上げることに目が忙しかったからかもしれない。舞台では五感で読み取るものだから、「私」が割り込む余白があったのだろう。
原作の「祖母の退化論」は三部作のうちの第一部で、続きがある。第二部「死の接吻」は「わたし」の子供の「トスカ」の話で、第三部「北極を想う日」は「トスカ」の息子の「クヌート」の話である。ただし、第一部の終盤で、自伝が書けなくなった「わたし」が、他の他者の自伝を自分のものとして捉え始めるようになり、その中で誕生するのが「トスカ」と「クヌート」であるので、結局第二部と第三部が本当に「わたし」の話なのかどうかは不確かな状態となる。「わたし」を語ろうとしてできず、「退化した」と苦しむ「わたし」が、最終的に他人の自伝を「わたし」のものにしようと閃いた時に、布施が演じる「わたし」は生気を取り戻したように感じられた。
舞台の最後、布施の「わたし」は静かに小説の最後の台詞を語る。語られるのは「わたし」が陸の上にあがろうとして幾度も失敗し、ようやく氷の上に腰を下ろすが、その氷も溶けていく、という情景である。「わたし」を支える土台を次々と失う中で、それでも「わたし」を生きていかざるをえない。その時、大切なものは「わたし」を自分の過去から組み立てたり、環境から創り上げたりすることではなく、見たこともない他人の人生と混ざり合い、虚構と現実の狭間に身を置きながら、想像力の中で「わたし」を創り上げていく、したたかさを持つことなのかもしれない。
瀬戸内海のヘテロトピア ー 文学座『五十四の瞳』 瀧尻浩士
文学座の新作『五十四の瞳』は、劇作家鄭義信と演出家松本祐子のタッグによる8本目の作品である。関西の地域と言葉に馴染み深い二人によって作られた舞台世界は、ローカル色豊かな「笑いと涙」という伝統的喜劇の要素を備えながら、知られざる歴史の事実とそこに生きた人間の思いを実直に描き出し、激動する時代の中での人と人とのつながり、民族と国家の関係を観る者に問いかけるものだった。
舞台は戦後間もない頃の瀬戸内海の小さな島、西島。採石業だけが唯一の産業であるこの島には多くの朝鮮人が暮らしていた。島にあるたった一つの朝鮮初級学校では、日本人も朝鮮人も分け隔てなく学んでいた。だが占領軍(GHQ)の朝鮮人学校閉鎖の通達、朝鮮戦争、南北分断と、時代の波はささやかな幸せを守るため懸命に生きる島の人たちの生活にも、押し寄せてくる。島で教鞭をとる男性教師、赴任したばかりの女性教師、4人の初級学校の卒業生とその親たち。島に生きる彼らの人生が20年に亘って描かれる。
タイトルは、壺井栄の小説とその映画化作品で名作として名高い『二十四の瞳』をもじったものだが、本作はそのリメイクでもパロディでもない。だが瀬戸内海の島の学校を舞台に、先生と生徒、彼らの成長と人生が歴史の流れの中で描かれる、という点で共通する。
『二十四の瞳』は、1928年(昭和3年)から、終戦後の1946年(昭和21年)までの18年間を描く。一方、『五十四の瞳』は、その2年後1948年(昭和23年)から1968年(昭和43年)までの20年の話である。並べてみると、戦争を挟んだ前後40年間の昭和の物語となる。もちろんこの2作につながりはない。ドラマのスタイルも全く異なる。だがそこには単にタイトルだけをもじっただけではないものがある。
軍国主義にのまれていく時代の流れの中で、『二十四の瞳』の生徒たちは、貧しさに希望を砕かれ、戦いに命を失っていく。そんな時代にあって、教師としての自分の無力さを感じた「おなご先生」こと大石先生はただ涙するしかなかった。そして終戦から3年、今度は『五十四の瞳』の物語が始まる。果たして、戦後の日本国憲法で戦争を放棄した日本から戦いはなくなったのか。
物語冒頭では、GHQの「朝鮮人学校閉鎖令」に反対する大規模なデモ(のちに「阪神教育闘争」と呼ばれる抗議事件)に参加しようと、3人の親友たちは親に内緒で島を出る。彼らはそこで暴力という恐怖体験をし、大怪我を負って島に戻ってくる。世界大戦という大規模な戦争が終わってもなお、覇権争いは続き、差別という問題がまた新たな人間同士の争いを引き起こしていた。
西島には、豊かな自然と国籍や言葉を超えて人と人とがつながる平穏な生の営みがある。だが仕事といえば採石業しかなく、電気も水道も引かれていない貧しい暮らしを住人に強いるこの島をユートピアと呼ぶことはできないだろう。島は現実世界を反転したような隔絶された空想的理想郷では決してない。デモに参加し傷ついて戻って来た3人組のうちの1人は、その後「祖国解放闘争」だとして朝鮮戦争に参加するために島を出る。島の住人たちは、瀬戸内の海を挟んだ外の現実に影響され、また影響を与えようとしている。言うなれば島は、戦争や差別がある日常の外にある異質な場所でありながら、現実社会と地続きに存在している場所、フーコーの言う「ヘテロトピア」的領域なのだ。それは島の向こうの本土が、いや島の外の世界全体が抱える哀しい現実を否応なしに映し出しながらも、それに異議申し立てをする場所という意味をなす。
前述の「阪神教育闘争」は、日本で初めて「非常事態宣言」が発出された事件である。世界大戦後も世界は戦いと差別をやめてはいない。国同士の軋轢は今もって各地に存在している。日本と韓国と北朝鮮との関係をみても、依然として様々な問題が国家間に立ちふさがっている。それはアジア以外の世界でも同じだ。アメリカの人種差別抗議運動「Black Lives Matter」はつい最近の例である。さらに今、世界は「見えない敵」と戦わざるをえなくなり、各国が「非常事態宣言」を発令した。そんな状況にあっても、まだ国家規模の争いや差別が止むことはない。だがこの劇の作り手、観客も含め我々世界中の「個人」は、そんな日常に違和感を抱いている。そして知っている。世界は今もって「非常事態」のままなのだ、と。
作者の鄭義信は、「この学校〔島の小さな朝鮮小学校〕を通して『教育の原点は何か』ということを考えたい」と述べている。劇中の男女の教師は不倫関係にあり、決して聖人君子の聖職者ではない。島の外の出来事に対しても、考え方が異なっている。親友3人組も成長するとともに、自分たちをとりまく社会に対して別々の考えを持つようになり、そして行動していく。登場人物たちには、「資本主義」、「共産主義」、「祖国解放」、「民族の独立」と様々なイデオロギーや信念が混在する。劇はそのどれか1つの考えの側に立って主張することはない。ただ人物たちに多様な考えを持たせ、議論させるだけだ。しかしそうした議論こそが、劇中の人物を突き動かし、ドラマを生む源泉となっている。
登場人物一人ひとりが葛藤しながら、自分の価値観を生成し、信念をもって生きていく。その力強さを劇は謳っている。平穏な島に生きる登場人物の誰もがなんらかの苦悩を抱え、あるときには絶望の縁に立たされる。しかし彼らは絶望の先に、希望を見出し歩き続けようとする。先に何があるかわからない不透明さは、いつの時代も同じである。小さくても自分の信念の中で、希望の灯を持ち続けることの大切さを、観るものは感じさせられる。この生きるための信念というようなものを育むものが、「教育」なのかもしれない。
そのような重厚な歴史と人間の心情を深く描きながら、劇は決して重々しくはない。20年という長い歳月が、リズミカルに描出される。その秘密は鄭義信の巧みな言葉の扱い方にある。漫才かコントのような掛け合いの会話が場面々々で大きな笑いを生む。そしてその言葉は時に痛烈に下品なのだ。しかしその言葉は決して卑しい使われ方をされておらず、人の心を何の装飾なしにダイレクトに掴むような生き生きとした生命力あふれる魅力的な響きをもたらしている。野卑に聞こえる言葉から生まれる会話のリズムが、逆説的に島の詩情ゆたかな空間と人間関係を映し出す。
また頻繁に挟み込まれる朝鮮語は、祖国の血から自然に湧いて思わず口をついて出た、人物たちの心の発露である。その混在して発せられる日本語と朝鮮語のコンビネーションのリズムはテンポよく、まるで音楽のように耳に心地よく響く。朝鮮語の台詞は日本語に訳されることはない。だが意味内容は状況の文脈から想像がつく。人物たちのあけっぴろげの会話は、言語の違いを超えて交わされる。それが観客の心にも直接伝わるのだ。そこには変換された訳語など必要ない。
そんな鄭戯曲のユニークな設定と言語を、俳優の身体を通してリアルに舞台に定着させたのは、松本祐子の演出である。笑いを引き出す言葉というものは扱いが難しい。まして笑いの芸能ではない、演劇の舞台においては。書かれた言葉を笑いにどう結びつけるか。ひとつ間違えれば、場がシラケてしまうばかりか、その言葉によって意味する場面の価値がそこなわれてしまう危険さえある。そんな笑いの言語を松本は演出において適切に扱った。観客は台詞にズレなく反応し、劇場に笑い声が響いたことがそれを証明している。さらに松本演出は、鄭のリズミカルな台詞に合致するように、笑いと胸に迫る感情的場面を交互にテンポよく織りなして、終幕まで観客を惹きつけた。劇中には、傷ついた若者たちを包み込む女性教師、康春花(松岡依都美)という「おなご先生」がいる。だが劇枠の外から優しく見守るもうひとつの視線を感じる。それは自分の生徒のように、舞台上の若き俳優を見守る「大石先生」=松本祐子のまなざしかもしれない。
出演俳優も全員がそれぞれの役の生き様をきちんと見せてくれた。一人ひとりの人物が愛おしく思える役づくりがなされていた。特に人間としての成長過程を演じてみせた洪昌洙役の川合耀祐と深刻な人間関係に巻き込まれない金君子役の頼経明子のコミカルな間合いの上手さは印象に残る。また良平(越塚学)を喪った春花の悲痛な叫びと、続く場面での未来への希望を感じさせる笑顔は、松岡依都美の渾身の演技によって、胸に迫るものとなった。
舞台には波の音、カモメの声、海の幸。自然は人間に恵みを与え、人はそれを糧にして生活を営む。だがそこに厳しい現実が立ちはだかる。歴史の流れの中で、過去も現在も、そして未来もきっと人間は、自然と闘争の間で揺さぶられる存在であり続けるのかもしれない。だがその間でしっかり立ち、歩むために、人は学ぶ。西島の朝鮮学校はその象徴のひとつなのだ。
文学座公演『 五十四の瞳 』
作:鄭 義信
演出:松本祐子
出演:たかお 鷹 、神野 崇、越塚 学、杉宮匡紀、川合耀祐、山本道子、頼経明子、松岡依都美
2020年11月
紀伊國屋サザンシアターTAKASHI MAYA
八尾市文化会館プリズムホール
阪神教育闘争 GHQの指令を受けた日本政府が1948年1月「朝鮮人学校閉鎖令」を発令し、日本全国の朝鮮人学校を閉鎖しようとした事に対して、在日コリアンが民族教育を受ける権利を求め、当局による朝鮮学校弾圧に抗議。4月には集会の後数百人が兵庫県庁に突入、当局はGHQの指令により抗議行動を「暴動」として非常事態宣言を公布し、武力で運動を鎮圧した。
たきじり・ひろし 演劇研究。明治大学文学部卒業、オハイオ大学大学院修士課程(国際学)、大阪大学大学院修士課程(演劇学)修了。大阪大学大学院文学研究科在籍。上方落語、文楽、宝塚と関西発祥の芸能をこよなく愛する。
撮影:宮川舞子
身体に仕込まれた「型」を見る ー mimacul『Katastroke』 竹田真理
4人の共演 撮影:金サジ
地上のあらゆる場所で人は踊り、踊りはいかようにも語られ得るが、ここでは踊りを「型」と捉え、型を備えた身体に光を当てる。舞台に召喚されるのは3つの伝統舞踊――韓国舞踊、日本舞踊、ジャワ舞踊のベテランの舞踊家三名である。それぞれ特徴的な舞台衣装を身に付け、一場に一人ずつ登場する。そこに匿名の「天の声」が質問を投げかける。質問に答える形で舞踊家たちは、踊りと出会い、型を習得し、プロフェッショナルの踊り手となって今日に至るまでを、実演を交えながら語っていく。天の声の質問は以下のように始まる;
「あなたの名前を教えてください」
「あなたは何をする人ですか」
「もう少し詳しく教えてください」
「いつ頃、なぜ、それを始めましたか」
(一字一句がこの通りではないかもしれない。)
3人に対しては同じ質問が設定されており、やりとりを通して観客は舞踊家の出自や経歴を把握する。同時に、各舞踊の特徴を知り、相違点や共通項を見出していく。たとえば「踊りで最も大切なことは?」との質問に、韓国舞踊と日本舞踊の踊り手は「表現するものをお客様にしっかり伝えること」と述べ、ジャワ舞踊の踊り手は「集中」であると答える。韓国舞踊とジャワ舞踊ではともに呼吸の重要性が語られる。足の運び、膝の使い方などはいずれの舞踊でも重視されるが、その細かい技術は互いに異なる。ひとしきり質問と返答が行き来した後は、たっぷりと踊りの実技が披露される。観客は3つの舞踊の型や技法がプロのスキルで実演されるのを見つめながら、それぞれの踊りの根本にある教えや舞踊観、身体観に触れることになる。「型」と聞くと特定の形状(Figure)に身体を当てはめるイメージがあるが、むしろ足の運び、腰の構え、地面との関係、重力とバランスの把握、呼吸のしかたなどに固有の文法をもった身体運用の技法といったものが見えてくる。
質問は舞踊の技法にとどまらず、それを踊る舞踊家の半生についても尋ねていく。踊り始めたきっかけ、修行にいそしんだ若き日々、失敗や挫折の経験、踊る人生の中で得た歓び。三者三様に語られるそれらのエピソードは、いずれも舞踊家その人に固有の物語の様相を呈する。韓国舞踊の金一志は小学生だった70年代、コンクールに力を入れていた学校で教師に強く勧められ、踊りを始めたと語る。韓国の舞踊史を知る者なら、日本の植民地支配から脱し、文化による民族意識の称揚を図るため国家が舞踊を奨励してきた歴史の一端を思い浮かべるだろう。踊りの特徴である呼吸との関係を、吐きながら膝を曲げて体を沈め、吸いながら浮き上がるように戻す基本の技で示し、また片方の手のひらが天を、もう片方が地を向く、といった動作のモチーフなども披露する。ここで踊ってみてくれますか、との天の声に応えて、金一志は一曲を舞う。ゆったりとしたリズムで自ら太鼓を打ち鳴らし、身体を律しながら縦方向へ躍動する。白い足袋の爪先は天を向いて反り上がっており、帽子の振り子飾りも揺れる。収穫祝いなど庶民のための野の踊りであるというそれは、やがて熱を帯び、旋回しながら濃密な舞踊空間を立ち上げる。
次に登場する日本舞踊の若柳吉寿扇、続くジャワ舞踊の佐久間ウィヤンタリも、同様の質問に答えながら自身の踊りを語り、実演する。黒地に波模様の着物を召し、“大丈夫振り(ますらおぶり)”が映える若柳吉寿扇は、お客に対し身体が「絵」として見えるよう、常に客席側の肩を下げて構えるのだと語る。4歳で弟子入りし、OSKで踊った。のちにある劇団に所属して全国を巡業した。現在は教える立場にもなった。佐久間ウィヤンタリも幼少から踊りをたしなみ、大学の舞踊学科に進んで夫となる日本人男性と出会った。踊る機会の多いインドネシアを離れ、踊る場の少ない日本に来て、自ら舞踊団を作り活動してきた。怪我をしてやめようと思ったことがあるが、体の使い方を見直し、今日まで続けてきた。実演ではジャワ舞踊に特有の足のポジションや手指の形を作ってみせる。宮廷舞踊ならではの厳かさがあり、布を長く床にひいて優美に舞った。観客は型に則った舞踊家らのパフォーマンスに瞠目しつつ、三者それぞれの身体に刻まれた来歴や経験に思いを馳せる。踊りを見るとは、型として取り出し可能な概念を見るというより、個別の身体の上に実現される具体的な現れを、当の身体と分かちがたいものとして見るのであり、踊る身体に刻まれた記憶や物語を見て取るのである。
2021年9月25~27日
THEATRE E9 KYOTO
振付・構成|増田美佳
出演|金一志 佐久間ウィヤンタリ 若柳吉寿扇 増田美佳
増田美佳 撮影:金サジ
勘のいい人なら、上記の質問がジェローム・ベルの『ピチェ・クランチェンと私』と類似していることに気付くだろう。『ピチェ……』以後も異文化に属する他者との対話を主題とする作品において、しばしば用いられてきた方法である。「あなたは何者であるのか」と問うことは未知なる他者のアイデンティティを問うことであり、多くは政治的背景を視野に入れたマイノリティの語りを引き出すものになる。果たして天の声の質問は、あるところで政治性を帯びた方向へと舵を切る;
「あなたはなぜこの国にいるのですか」
「祖国ではこの国についてどう教わりましたか」
「ここに住む前と後のイメージは違いましたか」
「ここにいることは居心地がいいですか」
舞踊家に対してこうした質問が発されるのは、異なる民族の伝統舞踊の踊り手たちが、何らかの意味でこの社会における他者であり、周縁的な存在=マイノリティであると認識するからであろう。実際にはこれらの設問は、必ずしも舞台上のアイデンティティ・ポリティクスへと“順当に”展開していくわけではない。それぞれの周縁性の由縁は様々であり、その深度も多様である。母の代が在日一世だと語る金一志では、二つの国家に横たわる「悲しい歴史」が意識化されていることが伺えるが、一方で大好きなマンガの原作が日本であると知り、「着物の絵がチマチョゴリに変えられていた謎が解けた」とユーモラスに語る段は、本作の政治化への舵切りを押し戻すようにも見える。しかし当のマンガの着物からチマチョゴリへの描き換えが意味するところを思えば、事は単純にニュートラルではない。他方、日本に生まれ育った若柳吉寿扇、日本人男性との結婚をきっかけに来日した佐久間ウィヤンタリでは、出自や来歴が屈託なく語られ、設問はいわば肩透かしにあう。しかしたとえば全国を巡業した若柳のキャリアは、余越保子のダンス作品『shuffleyamammba』が描いたような、被差別者でもあった漂白する女性芸能者の歴史に遠く連なっているとも言え、舞踊家や旅芸人という生業が社会構成上、周縁に位置するものであることを意識させる。作品は3人それぞれのバックボーンにある歴史や社会制度や慣習の奥行きを、声高に「政治化」へとまとめ上げることなく、現実の複雑さのままに、語りの中にほのめかす。その分、舞踊と政治と身体の関係が必ずしも構造化し切れていないともいえる。
それでも、増田がこうした政治的な舵切をはかった真意には、踊りが身体の記憶や経験を含んだ全人格的な表現であり、歴史的、社会的、政治的な背景と分かちがたくあるとの認識があるはずである。COVID-19が差別や分断をいっそう炙り出した2020年に、京都の、東九条という語り難い歴史をもつ場所で公演を行う限り、身体と政治の関係性について考えることを避けては通れないとする表現者の意志を見るべきだろう。
本作の政治性はむしろ、ダンスの形式をめぐる問い掛けの中に現れる。増田美佳自身がその実践者であるコンテンポラリーダンスを問いの中心に据え、増田自らが天の声の質問に答えていくのである。その過程で明らかになるのは、型をもたないコンテンポラリーダンスの舞踊史上の特異な位置である。先の3つの伝統舞踊――韓国舞踊、日本舞踊、ジャワ舞踊が互いに異なる型をもった舞踊として並列されるのに対し、コンテンポラリーダンスは4つ目の舞踊として等価に位置づけることができない。歴史上に現れたあらゆる舞踊のジャンル―伝統舞踊、民族舞踊、バレエ、ジャズ、モダン、ヒップホップ等々、洋の東西を問わず常に存在する舞踊様式の一つに数えることに留保がいるのである。天の声とのやりとりからは、例えばつぎのようなことが明らかになる。他の3者がいずれも年少期から、母語を獲得するようにして舞踊の道に精進しているのに対し、増田は大学入学後、ほぼ成人してからコンテンポラリーダンスに出会い、訓練を受け始める。身体にとって予め外部化された対象との出会いであり、ここに既に己が舞踊言語に対する批評眼の生まれる余地があったと考えられる。大学の授業での体験の一つとして、増田は床から15分かけて立ち上がるタスクについて語り、その場で実践する。横臥した身体が少しずつ重心を見出しながら自らを起こし、前屈状態から骨盤の上に一節ずつ背骨を積み上げてゆく過程は、踊る身体のゼロからの始動であり、脊椎をもつ生き物が二本足で立つまでの進化の過程を辿るものでもある。このタスクは天の声との問答の中で、コンテンポラリーダンスの真髄を示すものとして実演される。型を持たないが故のあらゆる動きの原初であり、重力の支配を受ける物質としての身体を示すものでもある。「コンテンポラリーダンスには型がない、むしろ方法を考えることがコンテンポラリーダンス」だと増田は語る。型以前のゼロの地点から地を踏む一歩、空気を掻く一振りが、既存の舞踊形式へのラディカルな問い直しとなり、常にある現在の、コンテンポラリーのダンスを生み出してゆく。
しかし一方、天の声は増田に向けても、他者性にまつわる「政治的な」質問を投げかける。増田はある政治問題に自ら言及しつつ中立的な構えをとり、状況への批判を唱えながらも断定を避けて逡巡する。その姿勢はコンテンポラリーダンスが「型の不在」と「何でもあり」の中間で手探りしている現在に重なる。かくして型を巡る語りに政治性を投射する試みは、ここまで着地点を見出すことなく、ざっくりと提示される。それはそのまま、現実の身体の複層的な在りようを示しているともいえる。
左:金一志 右:若柳吉寿扇 撮影:金サジ
ところが、三つの伝統舞踊およびコンテンポラリーダンスの型と身体の政治性を巡る問いかけは、終盤のシーンで、思いがけない形で撹乱されることになる。増田を加えた4人の舞踊家の共演が繰り広げられるのだ。差異と分断を超えて舞踊でつながり、多文化共生を体現するこの共演シーンは、本作において議論をよぶ箇所ではないかと思われる。
固有の風土と文化の中で育まれ受け継がれてきた伝統舞踊は、それぞれの民族や社会集団のもと、始まりも終わりもなく時間を紡ぐ歴史的な営為であり、本来、一般化、抽象化され得ない。これをある種ユニバーサルな表現として舞台上に現出させようとする共演の試みは、現実には起こりえないフィクションであり、イリュージョンである。それを可能にするのは劇場芸術の創造性に加え、非歴史的、還元的なコンテンポラリーダンスの視点があるからで、4者の共演は対等なカルテットというより、コンテンポラリーダンスを中心とした同心円上に他の舞踊を等価に配置した構図のうえに成り立つ。ここに他の民族・伝統舞踊を俯瞰し、搾取する植民地主義的構図を見て取る視点も可能となる。もっと言えば、コンテンポラリーダンスの枠で公演が打たれる本作に伝統舞踊を召喚する構図そのものが、舞踊家の身体や経験の搾取ではないかという見方があり得るのである。だが、上演の都度、ゼロ地点に降り立つコンテンポラリーダンスの特権的な位置は、コンテンポラリーダンス自身の「型の不在」に内在したものであり、この還元的な地点からの一振り、一掻きが、舞踊一般の普遍へではなく、個別具体的な身体言語へと向かうことが、コンテンポラリーダンスのラディカルさを上位に置く構図を無効にするはずである。「方法を考えることがコンテンポラリーダンス」と増田が述べるように、個々の舞踊家の営為に資する可能性へと繋がっていくだろう。しかしかたや、普遍の体現と見える4人の共演はイリュージョンに違いないが、幻想や理想をうたうことは舞台芸術の想像力の発露と言え、現に4人の舞踊家は語りの中で「新しい表現ともコラボしたい」と創造への意思を表明している。2020年の京都で、分断や差別を超えた社会を希求して踊ることの切実さは、フィクションと断じられるものではないだろう。多くの論点が複雑さのままに投げかけられている。
たけだ・まり ダンス批評。関西を拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした批評活動を行う。昨年9月のショーケース公演「ダンスの天地vol.03」の批評集(筒井潤氏とともに執筆)が発行されています。
佐久間ウィヤンタリ 撮影:金サジ
アダプテーションにおける逸脱と微調整
ー 映像で観る『MISHIMA2020』 藤城孝輔
「憂国」
撮影:岩田えり
2020年は舞台芸術の映像配信がさらに大きく躍進した一年だったように思う。これまでにも公演内容をDVDやオンライン配信の形で残すのは珍しいことではなかったし、英国のNTLive(ナショナル・シアター・ライブ)のように演劇の映像を映画館で配給して成功するケースもあった。だがその一方で、特に再演が収入源の大きな比率を占める劇団の場合には、映像の配信や販売に消極的であることも多い。ところが新型コロナウイルスの蔓延により、大小を問わず数々の劇団が新作の無観客配信や過去の上演作のオンライン公開に踏み切ることになった。それらの作品は鬱屈したステイホーム期間中における演劇ファンの慰めとなっただけでなく、自宅での映像視聴を観劇の一形態として普及させた。
劇場での観劇体験をある種の儀式として享受してきた演劇ファンは、複製技術時代の芸術の最たるものである映像を物足りなく感じるかもしれない。周囲に座る他の観客の息づかいや、ステージ上でどんなトラブルが起こるかわからない緊張感といったノイズが排除された映像は、パッケージ化され、均質な内容が保証された商品でしかない。しかし、現存する最古の日本映画が歌舞伎舞踊を撮影した『紅葉狩』(1899年)であることを考えれば、演劇と映像が常に密接なつながりを維持してきたことがわかる。演劇は映像に記録されることで後世の観客も鑑賞できる作品として形を残し、映画やテレビドラマに代表される映像は演劇から物語や俳優といった素材を得てきた。映像配信で視聴する演劇は二つの媒体の親和性を改めて確認させるものであろう。
三島由紀夫没後五十年を記念して企画された『MISHIMA2020』も観客を入れた劇場での上演に加えてオンライン配信が行われた。日生劇場を会場とする規模の大きな公演であるにもかかわらず各作品の上演日が二日ずつしかなかったことから、むしろオンラインが主体であったといってよい。四人の演出家が手がけた一時間程度の四作品からなるオムニバス作品である。三島の短編小説「橋づくし」(1956年)、「憂国」(1961年)、「真夏の死」(1952年)が翻案され、『近代能楽集』(1956年)の一作である戯曲「班女」(1955年)が上演された。公演では「橋づくし」と「憂国」、「真夏の死」と「班女」がそれぞれ一組のプログラムとなっていた。このような複数の演出家による三島作品の競作はパルコが「PARCO PRODUCE “三島×MISHIMA”」と銘打って2018年に『豊饒の海』(長田育恵脚本、マックス・ウェブスター演出)と『命売ります』(ノゾエ征爾脚本・演出)の連続公演を行って以来のものである。また、四部作構成は三島の最後の小説『豊饒の海』(1965-71年)にも見られ、ポール・シュレイダー監督が三島の人生と作品を描いた映画『Mishima: Life in Four Chapters』(1985年)でも踏襲されていた。劇作者が各自四編ずつ劇を上演して競い合った古代ギリシアのディオニューシア祭に由来する形式であり、ギリシア文化に影響を受けた三島の世界観を象徴しているといえる。
四部作といっても四つの劇自体には内容上のつながりはなく、演出も多種多様である。しかし上演時の組み合わせを見ると、「橋づくし」と「憂国」のプログラムが明るくポップな喜劇、「真夏の死」と「班女」のプログラムが暗く沈鬱な悲劇という大まかな対比が見られる。野上絹代が翻案と演出を務めた「橋づくし」は1950年代の東京を舞台に花街の女たちが願掛けのために七つの橋を渡ろうとする物語で、冒頭シーンの聞き取れないほど早口のセリフ回しや、無言で橋を渡るシーンでの誇張された身ぶり、エンディングで使用されるブラック・アイド・ピーズのダンスポップ曲「I Gotta Feeling」(2009年)などを通して溌溂とした若い女性のエネルギーが表現されている。一方、切腹を主題とした「憂国」を喜劇と呼ぶのには語弊がありそうだが、長久允は二・二六事件を背景とした三島の原作をコロナ禍にある2020年4月に置き換え、友人たちによる新宿ロフトでの籠城(「四・二六事件」と呼ばれる)を制圧する側に回らざるを得なくなった警察官とその妻の物語を描いた。「(死なない)憂国」とタイトルを変更しているとおり、主人公の夫婦は死なず、随所にユーモアが盛り込まれている。加藤拓也による「真夏の死」も「summer remind」と改題され、舞台を現代に移している。しかし子どもを水難事故で失った夫婦の心理を冷徹かつ分析的に描いている点は原作に忠実である。熊林弘高演出の「班女」だけは三島の戯曲に基づいているため、俳優たちは三島が華麗な修辞を盛り込んだセリフを発する。「狂女」や「気違い」「髑髏(されこうべ)」といった大時代な言葉が飛び交い、他の三作品とは大きく違った雰囲気を持っている。
このような雑多な寄せ集めにも見える作品群に何かしら一貫したものを探すとすれば、それは三島の作品が持つこれまでのイメージを変えようとする意志だといえるかもしれない。キャストを見ても、これまでに『Long After Love』(デヴィッド・ルヴォー/山下晃彦演出、2000年)で『近代能楽集』収録作「葵上」「卒塔婆小町」の主人公を演じたベテランの麻実れいをレズビアンの老嬢、実子(じつこ)役に起用することで、リアリズムに縛られない能楽の現代劇への導入を通して三島が試みた新劇の刷新に一見逆行するオーソドックス化が図られる。また、2018年の舞台『豊饒の海』の夭折する主人公、松枝清顕役が記憶に新しい東出昌大が「(死なない)憂国」の信二役、コメディー色の強い『命売ります』のテレビドラマ版(金澤友也ほか監督、2018年)に主演した中村蒼が「班女」の悲壮な現実に直面する恋人、吉雄役をそれぞれ演じることにより、両者が過去に出演した三島作品のイメージを転覆させている。大幅な逸脱からちょっとした微調整まで程度の違いこそあれ、三島の原作やこれまでのアダプテーションとは異なるものを生み出そうとする四人の演出家の姿勢はともすればバラバラになりそうな四つの作品をつなぎとめるかすがいの役目を果たしている。オムニバスの多様性と原典の刷新こそが『MISHIMA2020』という企画のねらいなのかもしれない。
三島由紀夫没後50周年企画『MISHIMA2020』
2020年9月21日~22日
『橋づくし』 /作・演出:野上絹代 出演:伊原六花 井桁弘恵 野口かおる 高橋努
『憂国』(『(死なない)憂国』) /作・演出:長久允 出演:東出昌大 菅原小春
2020年9月26日~27日
『真夏の死』(『summer remind 』)/作・演出:加藤拓也 出演:中村ゆり 平原テツ
『班女』近代能楽集より /演出:熊林弘高 出演:麻実れい 中村蒼 橋本愛
◇会場:日生劇場
三島の原作からの逸脱が最もわかりやすく見られたのは「(死なない)憂国」である。軍服に身を包んだ三島が怒号を浴びながら市谷駐屯地のバルコニーから演説をぶち、切腹自殺後に棺に入って総監室から運び出されるあまりにも有名なアーカイヴ映像にオーヴァーラップしてステージに立つ東出昌大の全身が小さく画面に登場する。東出は猫背で長身を縮ませ、病院のパジャマを思わせる白い上下の服に身を包んでいる。落ち着かない様子でステージ上をウロウロしながら、ハンドマイクに向かって早口で声をうわずらせる。襟足を伸ばした奇妙な髪型と、眼鏡ごしにおどおどと観客席をうかがう目つきは、彼がモデル出身のイケメン俳優であったことを忘れさせる。
2020年だ。あれから50年も経った。なのに。全然わかんないんだ。あの人が守ろうとしてた日本ってなんなのか。事物としての日本人。それってなんなんだ? 果たして俺は日本人なのか!? それさえわかんなくなるよ。でももうさ、俺たちは武士じゃない。軍人でもない。みてよ、この軟弱な体。いや筋肉はあるよ。YOUTUBEの筋トレチャンネルみながらさ、鍛えてみてもさ、何に使うんだ筋肉。この日常に筋肉なんていらないんだ。表面だけが固くてさ、中身はなんにも詰まってないんだ。虚無だよ虚無。なんにもない、ない、ない。俺たちは武士じゃない。
信二に扮した東出が発するこの冒頭のセリフは、本作を三島に対する応答として位置づけるものである。映画『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』(豊島圭介監督、2020年)で用いられた記録映像の中で「日本人である以上日本人以外のものでありたいと思わないんだ」と断言した三島由紀夫と後に演劇人となる東大生の芥正彦との間のやりとりを引用して信二は「事物としての日本人」を問い、日本人というアイデンティティーに対する三島の確信と現代の若者のアイデンティティーの不確かさを対比させる。割腹自殺を遂げた三島の棺と信二の「軟弱な体」の映像技術によるオーヴァーラップは、半世紀を隔てた男性の身体性の格差を際立たせ、「武士じゃない。軍人でもない」信二の「虚無」を描き出す。イデオロギー的な方向性の違いはあれ、ライブハウスの取り締まりを行う信二は、仲間によるクーデターの制圧を命じられた「憂国」の愛国的な主人公に自分を重ねていく。これに対し、妻の麗子は信二に缶チューハイの氷結を飲ませて自決を思いとどまらせるが、その一方で自粛生活によって活力を奪われ「ゾンビみたいに」なった国を憂い、「これって、コロナのせいじゃないと思うんですよ。日本の、日本の問題なんじゃないかと思うんですよ。そのことを、憂国は、三島さんは言っていた。[…]この未来を、自らの自決によって食い止めたかったのかもしれないな」と、三島に対する素朴な敬意を夫と同様に口にする。
だが待てよ、と思わず疑念を差し挟まずにはいられない。三島だって武士ではなかったし、戦場で戦ったわけでもない。ボディビルディングで鍛え上げた肉体も、ナルシシスティックな虚栄心を満たすための「表面だけ」の体に過ぎなかった。三島がみずから主演し、監督を名乗った本作の映画化作『憂国』(1966年)を見れば、二・二六事件の時代背景よりもエロティックな身体表象に重きが置かれていることがわかる。彼が市谷で起こした割腹事件にしても、「(日本を)守ろうとしてた」「この未来を、自らの自決によって食い止めたかった」というよりもむしろ積年の願望を成就させるための大義名分を必要としていただけではなかったか? 武士たる男が大義のために命を捨てた時代に戦後の三島が過剰な憧憬を抱いていたのと同様に、本作もまた多分に神格化されたノスタルジックな幻想として三島を描いている。長久の演出が「憂国」からの逸脱を重ねて五十年前と現在の違いを強調すればするほど、三島と信二は同じ虚無を抱いた似た者同士に見えてくる。「三島さん、見てますか? これが、俺たちの憂国です!」と劇の最後に信二はカメラに向かって語るが、実際にはカメラのレンズに映った自分の似姿に語りかけているだけに他ならない。
映画『憂国』海外版DVDパッケージ。Amazon.co.jpより
「真夏の死」
加藤拓也の「summer remind」も現代を舞台とする作品であるが、「憂国」に見られるような新型コロナ禍への直接的な言及は劇中にはない。物語を1950年代から現代に移したのは、三島の文章から解放されたくだけた話し言葉のやりとりを活かすことがねらいであるように見える。今日の時世の反映は、夫婦を演じる中村ゆりと平原テツの二人だけからなる最小限のキャスト、対面を拒むかのように観客席に向かって並べた二脚の椅子からなるシンプルな舞台装置(ただし椅子が昇降するなどの仕掛けあり)などの面にとどまっている。また、両作の撮影技法も対照的である。手持ちのカメラがステージに上がってせわしなく動き回り、俳優の姿を間近で捉え続けた「憂国」に対し、客席側に三脚を立てて撮ったと見られる本作の映像からは静謐と距離感が伝わってくる。これは「橋づくし」と「憂国」のプログラムが無観客での上演を録画して配信した一方、本作と「班女」が観客を入れた回の公演を撮影したためであろう。「憂国」のラストで長久のカメラが空っぽの客席の列という異常事態をまざまざと映し出すのに対し、「summer remind」のカメラワークは通常の舞台の収録という印象が強い。
「summer(夏)」と「remind(思い出させる)」を三単現の一致も頭文字の大文字化もなく並置しただけのいびつな英語のタイトルは、海水浴場でのわが子の水難事故死という悲劇に対する夫婦の異なる反応を象徴的に表しているように思われる。妻の朝子(ともこ)は月日の経過とともに子どもたちの死を思い出す機会が減っていくことに罪悪感を抱き、さまざまな手段でみずからに事故をリマインドさせようと試みる。これに対し、夫の勝は子どもたちの死に執着するのではなく事故以前の日常に時間を巻き戻そうとする。「とにかく以前に戻ろう戻ろうとするわけですね僕は」「やっぱり放っといても戻れないじゃないですか以前のように。意識して戻していかないと」といったセリフに表れているとおり、彼にとっては悼み続けることよりも平穏だった過去の生活を取り戻すことが重要である。妻の行動がremindという英単語で表せるとすれば、夫の行動はrewind(巻き戻す)という単語に集約できる。MとWという一文字の差異から見えてくるこのようなコントラストは、本作が家族の死に対する男女の反応の違いに軸を置いた劇であることを示唆している。
その一方で「summer remind」の結末に見られる三島の小説からの逸脱は、劇的な効果を高めているとはいいがたい。唯一生き残った次男に加えて新しい子どもが生まれ、夫婦は子ども二人を連れて事故現場となった海水浴場に戻ってくる。四人家族が波打ち際に立つ場面で小説は終わり、一家の行く末が示されることのないまま不穏な余韻を残す。ところが、加藤は朝子が波打ち際で子ども(を表すへその緒状のグロテスクな小道具)を放り投げるという決定的な行為に及ぶラストに書き換えることでセンセーショナルな悲劇の幕切れを描く。それは長男と長女の死を忘れないためにみずからを不幸の中に置こうとする朝子が新たな子の誕生に対して取る必然的な行動ではあるが、終わりなく続くかに見えた夫婦それぞれの苦悩に家族の破滅という形で明確なピリオドを打ってしまう。私は単にショックを観客に与える以上の効果をこの改変に見出すことができなかった。
「橋づくし」に見られる原作からの大きな改変はモノローグの多用であろう。七つの橋を渡る女たちの願掛けには「家を出てから、七つの橋を渡りきるまで、絶対に口をきいちゃだめ」というものをはじめいくつかの禁忌がある。登場人物同士が言葉を交わしてはいけないという設定は劇を進めていくうえで工夫を必要とする。三島の小説では三人称全知の視点を自由に移動させることで、満佐子、小弓、かな子の三人の心の動きがつぶさに描写される。一方、野上は録音されたモノローグに合わせて登場人物が大げさにジェスチャーを行うことでコミカルに三人の内心を描き出す。他にも七つの橋を渡る道中で女たちはきれぎれに言葉を発するが、それらは対話としての機能を担っておらず、独り言としてステージに響く。三人称から一人称への転換は女性の心理をあざやかに分析してみせる男性作家の目線を脱し、女たち一人ひとりの願望に観客がじかに接し、同一化することを可能にしている。三島の客観的な視点は背景のスクリーンにグーグルアース(に模した映像)を投影して橋の位置を示す技法や、舞台の真上から橋を渡るさまを捉えるカメラ・ポジションなど技術的な側面にその痕跡を見て取ることができるのみである。
登場人物の中で、小説でも舞台でも終始他者として扱われるのが女中のみなである。小説の中でみなは、東北出身という出自や野暮ったさのために華やかな花柳界の女たち、特にかな子から疎まれている。野上は彼女を大柄で強面の男性俳優である高橋努に演じさせることで、三島が執拗に描写したみなの醜さを体現させている。みなのモノローグはほんの一言程度であり、セリフも少ない。何を考えているかよくわからない彼女は、お金や男性、有名俳優との恋といったシンプルでわかりやすい願いを抱く他の三人と対比させられている。だが、都会と田舎、洗練と粗野、饒舌と寡黙、明瞭と不分明といった二項対立を逐一踏襲してしまうことで、本作が描く女性像は三島の認識を超えることができずに図式的なものにとどまっている。女性演出家ならではの原作からの逸脱を期待して勝手に失望してしまうのは、ない物ねだりというものだろうか。
「橋づくし」
撮影:岩田えり
「斑女」
熊林弘高の「班女」は三島の戯曲であるため、必然的に四作品の中では最も三島作品からの改変が少ない。熊林の演出は三島からの大胆な逸脱よりも、戯曲の言葉や筋書きという強固な枠組みの中での微調整によって作品に新しさをもたらそうとしている。その意志がとりわけ明確に見られるのがオープニングである。リストがワーグナーのオペラを編曲したピアノ曲「イゾルデの愛の死」(1867年)が流れ、真っ暗な舞台の背景に降りていた幕が上がる。舞台の両端に婚礼衣装とおぼしき格好の一組の男女が向かい合って立っているが、背景から強い光を浴びて二人はシルエット姿でしか見えない。ゆっくりと二人は舞台中央に歩み寄り、互いのほうへ近づいていく。そして踊るような動きとともに開いた扇を交換する。三島の戯曲はこの後に続くアトリエでの実子の独白シーンから始まっている。『トリスタンとイゾルデ』のアリアに印象的なイントロを加えたリストと同様、このオープニングは熊林による追加部分である。橋本愛演じるヒロインの狂女とかつての恋人、吉雄の背景をセリフに頼らずに説明する役割のみならず、様式美に徹した俳優たちの動きや能面の代替となるシルエットによる匿名性を通して能楽を思い起こさせる効果を発揮している。三島によって当世風にアレンジされた「近代能楽」である本作を再び本来のルーツへと回帰させる演出であろう。そして、この独自のオープニングにおいては、ワーグナーのアリアの真髄をピアノで再現した編曲者としてのリストに三島作品を演出する熊林自身が重ねられていることは明白である。彼がリストだとすれば三島はワーグナーに相当し、やはりここでも原作者の三島を偉大なものと見なす目線が感じられる。
本作は当然ながら三島の筋書きどおりに進行していくが、半世紀以上前の古風なセリフによって構成される劇の内容を観客が一度で理解できるようにするために一役買っているのが映像である。舞客席側の随所に設置されたカメラは複数のアングルからステージをとらえ、舞台全体を収めるロングショットと俳優の顔を間近で映し出すクロースアップを自在に切り替える。このことにより、俳優の細かい表情の演技が見られるようになっただけでなく、長いセリフの文節ごとにショットを切り替えることでセリフの意味のまとまりをつかみやすくなっている。また、恋敵の関係にある実子と吉雄が対峙する後半のシーンでは、ステージ上に立つ二人を一人ずつ交互に映し出すことで映画における切り返しと同様にセリフの応酬をテンポよく映像で伝えている。さらに、終盤では吉雄と花子の過去を示す古びたフィルム風のセピア色の映像に何匹ものハエがたかっている映像と文字盤を失った時計の中央からインクの染みのようなものが広がっていく映像がステージ背景のスクリーンに投影される。配信映像の中では直接挿入されるこの映像は、正気を失って吉雄を認識できなくなった花子の記憶が朽ち果て、時間の感覚が損なわれていくさまを象徴的に表現している。このような映像の活用においても、熊林は三島の戯曲を現代の観客に的確に届けるための工夫を凝らすアレンジャーに徹している。
四作とも、三島由紀夫の原作にそれぞれのオリジナリティーで応答しようとしたことは評価できる。現代を舞台に移したものから女性の主観性により焦点をあてたものまで、多様な形で昭和の文脈にある三島を現代の作品としてアップデートする試みが見られた。その試みは成功しているものもあればそうでないものもあるが、『MISHIMA2020』に原作小説や戯曲を読む体験とは一味違う観ごたえを与えている。しかし、本公演の全作を通して欠落しているものは三島由紀夫という人物と彼の作品を冷静に批評する視点である。三島の劇的な死後に生まれた四人の演出家たちは素朴なリスペクトとともに彼の作品の魅力を現代の観客に届けようとするが、誰一人として――原作から最も果敢にかけ離れた長久でさえも――三島に対する偶像破壊的な批評性を発揮することはない。「橋づくし」や「真夏の死」といった女性の心境に焦点を当てた作品からは三島の創作の幅広さをうかがい知ることができるが、やはり日本文学の巨星として神格化された三島のイメージは揺るがない。だが、「橋づくし」に見られる女性観や「憂国」のナショナリズム、「班女」が描く性的マイノリティーに対する意識は、今日の社会に合わせて批判的に検証する必要があるのではないか。文豪に対する畏敬の念からアダプテーションの批評的な可能性を閉ざしてしまうのはもったいない。