国際演劇評論家協会
日本センター 関西支部
Act 29
2021.3.31
宝塚歌劇団月組『ピガール狂騒曲~シェイクスピア原作「十二夜」より』
上から、月城かなと、珠城りょう、美園さくら
作・演出/原田 諒
宝塚大劇場 2020年9月25日~11月1日
ジャック/ヴィクトール 珠城 りょう・ガブリエル 美園 さくら・シャルル 月城 かなと
空白が与えた成熟 上念省三
コロナ禍のベル・エポック讃歌 松本俊樹
ファンの方には申し訳ないことを書くが、月組はちょっと物足りないように思われていただろうと思う。愛希れいかという大きな存在感のある娘役トップも、美弥るりかという強力な脇もいなくなり、珠城りょうはトップになって4年たつのに、いい意味でもそうでない意味でもいつまでも若い感じがする。娘役トップの美園さくらは悪くはないが……二番手で組替えしてきた月城かなとは、今一つはじけきれていない。別格扱いで戻ってきた鳳月杏はさすがの存在感だが、大ぜいの実力ある若手と共に、どこまで魅力を発揮できることか。……
シェイクスピアの『十二夜』をベースにしてベル・エポックのピガール(パリ、モンマルトルの丘の窪地に位置し、今日ではパリ屈指の観光地区であり、ショー、お祭り騒ぎ、パリ式ナイトライフの本場)に舞台を移した『ピガール狂騒曲』がなかなか面白かったのは、一つは配役の妙によってスターたちの秘められていた魅力が発見できたこと、もう一つはコロナ下にあって劇場というものの魅力を存分に描けたこと、にある。
珠城が二役というか三役、ベルギー貴族ヴィクトール(男)、ムーラン・ルージュの裏方ジャック(男)、借金取りに追い回される田舎娘ジャンヌを演じ分けるのには、驚いた。『十二夜』のヴァイオラ~シザーリオに当たる役だ。さわやかな青年役が似合いこそすれ、肩幅が広く、わりと「ごつい」印象のある珠城、確かにショーの『TAKARAZUKA花詩集100!!』(2014)では全身タイツ姿で男役たちを篭絡するというインパクトはあったが、どちらかというと女役はあり得ない印象があるタイプ。ジャンヌで登場するシーンは多くはなかったが、そんな珠城が長髪でスカートをはいて少し声のトーンを上げてもじもじしているのが、やけにかわいい。トップが女役を演じるのは、『ベルサイユのばら』のオスカル、『風と共に去りぬ』のスカーレットなど例はあるものの、いずれも通し役であり、一公演の中で性別もキャラクターも変わるのは、珍しいことで、珠城の多面的な魅力を引き出せたといえるだろう。
うがった見方をすれば、こういう仕掛けをこしらえなければ、珠城の魅力の幅が広がらないと思われたのかもしれない。作・演出の原田諒は、これまでも特にダンスが得意というわけでもない早霧せいなにニジンスキーを好演させ、望海風斗にアル・カポネの多面性を表現することを課し、紅ゆずるにナチスに抵抗するクールで抑制的なヴェーグマンという映画監督を当てて成功させている。今回原田が珠城に与えたハードルはなかなか高いもので、余裕があったとまでは言えないが、的確に演じ分けていたように見え、おそらく東京公演ではいっそう磨きがかかっていたことだろう。
美園のガブリエルも、小説家の夫ウィリー(鳳月)にゴーストライターを強いられて離婚を決意している人妻という役柄もあって、女性としての強さを前面に押し出し、歌もセリフも声を低めにして、地声の歌がよく響いたのがよかった。珠城がジャンヌに戻って、さっきまで珠城本人が演じていたはずのヴィクトール(珠城と同時に舞台に出なければいけない時は蒼真せれんが影武者的な役割を務めた)と結ばれるというのも、面白い趣向だった。
月城にシャルルというややエキセントリックで情熱的な支配人役を与えたのも、彼女の演技の幅を広げる大胆な配役だった。その大胆さが歌のバランスを崩すほどのロングトーンに象徴されたのも、面白い。ロートレック役の千海華蘭も芸達者ぶりを存分に見せて、異彩を放った。
鳳月や若手の暁千星、娘役の海乃美月が比較的無難な役に収まる中で、おいしい役に体当たりしたのが弁護士ボリス役の若手・風間柚乃。ガブリエルを見張っておくようにと指示されたために、結果的にムーラン・ルージュのダンスチームに女装して潜入することになり、舞台に上げられ、醜態をさらす。そんな役を、当たり前とはいえ、至極真面目に演じ切っていることで、それを命じたウィリーの惨めなバカバカしさが反照されるという巧みな仕掛けになっていた。風間は原田の作品『チェ・ゲバラ』(2019)で怪我のため休演した月城に代わって、準主役であるカストロを演じて高く評価され、それに続く抜擢によく応えた。
もう一つのポイント、ムーラン・ルージュという劇場空間が持つ魔力、劇場空間への執着を支配人シャルルらに語らせたことは、出演者、スタッフ、観客それぞれの宝塚大劇場(あるいは東京宝塚劇場)という空間の魅力、それへの愛着の思いを重ね合わせることができ、劇場空間の一体感を醸成しえたと言えるだろう。この芝居は、つぶれかけていた劇場の起死回生の一手が、うまくいくと思われたのだが、やっぱりぽしゃって、絶望かと思われたところに、貴族のヴィクトールが援助を申し出て劇場継続、どんでん返しのめでたしめでたしというハッピーエンドだ。
今、出演者も裏方さんも観客も、一時は幕を開けることができなくなっていた劇場が、やっと動き始めたという喜びと感動に包まれながらも、いつ何どき、またどうにかなってしまうかもしれないという不安をいだき、できる限りの対策を行いながら毎日を過ごしている。開演前の場内アナウンスがよく聞こえるのは、客席でのおしゃべりがほとんどないからだとか、トイレの行列がいつもより長いのは、手洗いが念入りだからだとか、都市伝説のようなことが噂され、でも、本当にそうだったんだろう。少なくとも一時期、観客の一人ひとりが、大劇場をクラスターにしないように、懸命だったと思うのは、楽観的過ぎるだろうか。
月組は2月末から9月下旬まで、約7カ月を空白で送らざるを得なかった。106期生の初舞台も半年遅れた。誰も皆、いつ舞台に立てるのか、不安だっただろう。ファンもまた、いつまた彼女たちの姿を観れるのかと。この空白を経て、月組(だけではないだろうが)の生徒たちは格段の成長を遂げたように思われた。もう物足りないとは思わない。しばしば宝塚で起きることだが、トップコンビが成熟し、脇を固める生徒たちも充実したころには、トップが退団していくことになる。珠城と美園も2021年8月には退団だ。惜しいが、こういう作品を観ることができて、よかった。
そうそう、本当は女性であるジャックが、ガブリエルとペアでショーに出ることになるが、絶対に身体にふれないことを条件に承諾するというくだり、禁忌によって逆に身体が接触することのときめきや喜びが強調されるようで、コロナ下で接触することが遠ざけられている現状を反映し、笑うに笑えないというか、笑えるというか、ちょっともぞもぞした。原田のみごとな手腕の一つだ。
じょうねん・しょうぞう 「宝塚アカデミア」(青弓社)第2号(1997年)~28号(2006年)に公演評、時評等を寄稿。CS放送「タカラヅカ・スカイ・ステージ」のクイズ番組の作問を担当したことがある。
セーヌに架ける鉄の橋
グラン・パレのガラス屋根
夢を乗せて走るメトロ
エッフェル塔そびえる 夢の街パリ
もうすぐ始まる 万国博覧会
2020年秋の宝塚大劇場は月組公演『WELCOME TO TAKARAZUKA』『ピガール狂騒曲』で幕を開けた。日本物レヴューと19世紀末のパリに舞台を移した『十二夜』の翻案作品の二本立てによるこの公演は本来4月の初日を予定していたが、今年の多くの公演の例に漏れず、新型コロナウイルス感染症の拡大により延期を余儀なくされ、改めて9月に初日を迎えたものである。また、東京公演は当初6月から7月を予定しており、『WELCOME―』の作・演出担当の植田紳爾が「この作品はオリンピックに世界中からおいでになるインバウンドの皆様に少しでも日本の情緒を感じて戴きたいと企画したものです 」と述べている通り、今年開催予定であった東京五輪に合わせたものでもあった。本評では原田諒の作、演出によるミュージカル『ピガール狂騒曲』の方を取り扱いたい。
1900年のパリ。ムーラン・ルージュの支配人シャルル・ジドレール(月城かなと)は、低迷する小屋の起死回生のため、人気小説『クロディーヌ』のモデルとされるガブリエル・コレット(美園さくら)を主役に新作レヴューの上演を画策し、働き口を求めて彼を訪れた青年ジャック(珠城りょう、一部代役蒼真せれん)にガブリエルを口説き落とすよう命じる。自分をゴーストライターとして『クロディーヌ』を発表する夫ウィリー(鳳月杏)に嫌気がさしており、別居中のガブリエルはジャックの申し出を受けて舞台に出ることになるが、ダンスの相手役としてジャックを指名する。しかし、ジャックの正体は実は女衒から逃れる為に男装しているジャンヌという女性であり、そのことを隠したまま手以外に触れないという条件で舞台に立つことになる。一方で、ベルギーから貴族のヴィクトール(珠城が二役、一部代役蒼真)が生き別れた腹違いの妹を探しにパリを訪れる。ガブリエルはジャックに恋し始め、それに嫉妬したウィリーの差し金もあり新作レヴューの初日は混乱のうちに失敗に終わるが、ヴィクトールがジャンヌを見つけ出し、ガブリエルはヴィクトールと結ばれ、また、シャルルの小屋への真摯な思いに触れたことで彼に思いを寄せ始めたジャンヌもシャルルと結ばれ、大団円に終わる。
原作のヴァイオラ/シザーリオに当たる主役は作品オリジナルキャラクターであるジャンヌ/ジャックであるが、オーシーノにムーラン・ルージュの創設者であるシャルル・ジドレールを、オリヴィアに『クロディーヌ』で知られる作家のガブリエル・コレットを当てるなど、虚実入り交じっている。原作のエリザベス朝の女性観と現在の、またはベル・エポックの女性観が合わない点などが気になりはしたが、『十二夜』の翻案として概ねまとまった出来に仕上がっていたのではないだろうか。また、主人公ジャック/ジャンヌが貧困の中で母を失い、女衒に追われるという深刻な状況にありながら、祝祭劇としての明るさを保っていたのは、珠城のスターとしての「明るさ」も寄与したことだろう。
先述の通り、本作の舞台は1900年のパリである。万国博覧会の開催を前に浮き立つ都市の情景が描かれ、主題歌では「ベル・エポック」という歌詞が連呼され、その時代が高らかに賛美される。19世紀後半から20世紀初頭を指す「ベル・エポック」、すなわち「良き時代」という呼称は第一次大戦後に過去を回顧して呼ばれたものであり、科学技術の発展とそれに伴う「文明」の進展が社会を発展させると無邪気に信じられた時代を表している。
本作でも、冒頭で引用した主題歌の歌詞のように「鉄の橋」「ガラス屋根」「メトロ」といった科学技術の粋が賛美される。しかし、実際に「ベル・エポック」という呼称を用いてきた、我々を含む後世の人間は科学技術と「文明」の進展が1914年(奇しくもこの年は宝塚が初公演を行った年でもある)の破局により大量殺戮に至ったという事実を知っており、彼らの夢が無残に破られることを知っているのである。作中で謳われる新しい「女性の時代」も次の20世紀には完全な形で実現することはなく、部分的な実現が二度の「破局」、すなわち世界大戦による男性労働人口の減少により達成されることも歴史の皮肉であろう。
加えて、作品の時代的背景となっている「万国博覧会」、すなわち1900年のパリ万博がその「破局」に至る原因の一つとなった植民地主義の肯定的メッセージを多分に含むイベントであったことも事実である。
この作品は本来、五輪に沸き立つ東京で祝祭劇として上演される予定であったし、また、宝塚の本拠地である関西も2025年の万博を控えている。新しい世紀に二度の破局が待ち受けているとも知らずに科学技術の発展に酔い祝祭に沸き立つパリと、同様に祝祭を前にした現代の東京大阪の両都市を重ね合せて見ると、祝祭という一瞬の「徒花」の先に明るい未来が本当に待ち受けているのか疑問を抱かざるを得ず、強烈な皮肉のようにも見えてくる。
加えて、私たちはコロナ禍の真っただ中にある。新型コロナウイルス感染症のパンデミックという自然の猛威を前に我々は無力感に打ちひしがれている。大戦ほどではないにせよ意識や社会の変革を余儀なくされるのは間違いなく、来たる未来への不安に満ちている。そして、コロナ禍以前の世界を「良き時代」と懐古する無邪気さは私たちには許されていないだろう。祝祭に刹那的に酔い痴れたり未来に希望を託したりすることもできず、過去を「良き時代」と懐古する現実逃避をも許されない中、私たちは過去を省みてどのようなコロナ禍以降の「未来」を作ることができるのだろうか。
『ピガール狂騒曲』はもはや五輪という「祝祭」と時を合わせる事はないが、かえってコロナ禍の混沌とした重苦しい世界をひと時忘れられる喜劇として多くの観客の心を満たし、記憶に残る舞台になったように思う。しかし、コロナ禍真っただ中の「ベル・エポック」讃歌は同時に大団円の「その先」に思いを馳せずにはいられないし、登場人物の「その先」と私たちの「今」と「未来」を重ね合せてみたくなる。作者原田は「春の宝塚に似合う軽やかで心が浮き立つような作品にしようと思いました 」と語っているが、コロナ禍の上演は軽やかな喜劇が持つ効果を充分に活かした一方、作者さえも予期せぬ作品が持つ効果をも引き出したのではないだろうか。
まつもと・としき 大阪大学演劇学研究室コースアシスタント。専門は1920~30年代の宝塚少女歌劇研究。
N²『Tab.10 街の死:necropolises.』
撮影:渡邊 花
2020年2月の国際舞台芸術ミーティング in 横浜 TPAM 2020 Fringe における初演では、一人の役者が劇場の外であらわとなっている「境界」をなぞりながら、観客と共に横浜を観光した。
同年7~8月の京都「公演」は、COVID-19の影響下にあるわたしたちの現在地をテキストと写真によって記録するためのプロジェクトとなった。
同じテーマをめぐりながら、状況の変化と歳月の経過、空間の移動があり、アウトプットの方法も「観客」のアクセスの方法も全く異なる二つの公演である。ここでは、あえてこの二つの公演のレビューをクロスさせる。
N₂
杉本奈月と秋山真梨子によるカンパニー。書き言葉と話し言葉の物性を表在化する試み「Tab.」、処女戯曲の翻訳と複製「Fig.」では代表作『居坐りのひ』にも通底する「1.17と3.11からなる二つの震災」をテーマとし「劇場へのあて書き」をしながら、書きおろされた戯曲ではなく「他者のテキストと語り」から作品を立ちあげている。第15回AAF戯曲賞最終候補、おおさか創造千島財団平成30年度スペース助成採択。
横浜公演:2020年2月11日 横浜市内某所 かつてネクロポリスは居住地域から遠くはなれた場所に建てられていましたが、一方でディジタル信号、液晶、ユーザーアイコン……そのむこうにある存在の生き死にを気にとめない現代人のあり方、自他の境界が失われるような感覚は近代の産物であるといえます。本公演は一人の役者が劇場の外であらわとなっている「境界」をなぞりながら市内をめぐって行く演劇です。現地へ来場しない観客にむけてリアルタイムで映像をお送りします。(TPAMフリンジ ウェブサイトより)
京都公演:THEATRE E9 AirのTab.10 街の死:necropolises.はCOVID-19の影響下にあるわたしたちの現在地をテキストと写真によって記録するためのプロジェクトです。観客のみなさまには十日間、光についてのテキストを書いていただいた上で夜明けの写真を撮影していただきます。
Season1 ——朝、起きられてから一時間のあいだに撮影をします。(THEATRE E9ウェブサイトより)
2020年7月21日 – 30日
オンラインミーティング 7月31日、8月1日
Season2 ——現在地の夜明け方に撮影をします。
2020年8月11日 – 20日(木) 24:00
オンラインミーティング 8月21日、8月22日
【横浜】街の中に戯曲のための言葉を探す旅 小泉うめ
【京都】対話から演劇が生まれるとき 植村 真
撮影:渡邊 花
撮影:杉本奈月
同じ言葉がそれを発する人やそれが発せられるタイミングやイントネーションによって全く違う響き方をすることがある。それは日常的に使用されている言葉というものの性質でもあるが、その理由や仕組みについて詳しく考えている人は決して多くはないだろう。
N²は杉本奈月を中心とするカンパニーであり、他者の目を通して現時点におけるその人の人生を見つめなおすための場として演劇を捉えていると言う。本作品では「街の死:necropolises」というキーワードをトリガーに現代人が使用している言語伝達の仕組みについて考えさせられた。
この作品は劇場ではない場所で上演されており、カンパニーからは横浜みなとみらいの象の鼻パークにある鉄軌道と転車台の跡に集合するように事前に告知された。それは明治時代の半ば横浜税関内で使われていた手押し車両用の設備でパークが整備される際に発見された遺構である。現在は強化ガラスを通して地面の下にそれを見学出来るようになっている。そんな地下に保存されている施設をのぞき込む人々を目印に観客は少しずつ集まった。
タイトルになっているnecropolisesは前近代に文明の中心地から少し離れた場所に作られた墓地のことである。転じて、巨大化して衰退しつつある都市のことを示す場合もある。かつて横浜の都心部は関東大震災、昭和恐慌、第二次大戦による空襲、GHQによる占領、そしてそこで人口が急増したことによってスプロール化して発展した街と俗に横浜の五重苦地域と呼ばれていた。そこで横浜駅周辺と関内伊勢佐木町エリアに二分された横浜都心部を一体化させ都市機能の充実をめざし1980年代から再開発がすすめられ生まれたのがみなとみらい21である。このエリアは元々造船所を中心に貨物線の駅や操車場、そしていくつかの埠頭などがあった場所であり、注意しながら歩いてみれば計画的に造られた街の随処にそれらの名残りを見つけることができる。
現代社会における既存のものの上に次々と新しいものを上書きしていく発展形態は、かつて葬ったものが自身のすぐそばにあることを意識する感覚も薄れさせていった。これによって現代人はすぐ近くにある自身に直接関係のない他の存在を気に留めないでいられる術を身に着けたとも言えるかもしれない。
今この文章を読んでくださる方には想像に容易いことであるが、これを書き残すに当たってこの上演がどのような時期に行われたのかということを記録しておく必要がある。この作品はTPAM2020にフリンジ参加したものであるが、ちょうどこの会期中新型コロナウイルスに感染した乗客のいることが分かったダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に寄港していた。報道で日毎に事の重大さが知らされ、それに伴い来日できなくなる海外アーティストもいる中でTPAM2020は最後まで開催された。すぐ沖に未曽有の危機が近づいている中、かろうじて保たれている日常がその岸辺には在り、突如として現れたその境界にもこの作品は触れることになった。
作品は俳優の西川数英が観客をガイドする形で進んでいった。とは言っても事前に俳優に託された台詞などはなく、西川に課されていたのは観客に順路を案内していくことと片手にカメラを持ってこの上演を撮影しながらリアルタイム配信するということだけだった。西川は元々みなとみらいには詳しいようで、赤レンガ倉庫の歴史や最近新しく建てられたホテルのことなどを話しながら先導して行った。あとは全て観客に任せられていて、こういう作品に慣れない観客にとっては戸惑いもあったかもしれない。
それは同時に「演劇は劇場で上演されなければならないか」という問いかけでもあっただろう。もちろん劇場ではない場所で上演される演劇は既に数多あるが、こうして少々乱暴なくらいに観客に任せながら上演を進める手法は今一度劇場でない所での演劇ができることについての実験をしているようでもあった。
スーツ姿にコートを羽織っている西川は観光客を案内するツアーガイドのようだが、時に仕事をサボってパークをうろついているサラリーマンのように見えたり、恋人とデートを楽しんでいる男性のように見えたりもした。観客とみなとみらいの建物やその歴史について少しずつ言葉を交わしながら進んでいく中で、時折それが観客の経験や記憶と繋がる瞬間があって、ところどころに物語が立ち上がりかける欠片のようなものが見えていた。
横浜港を周遊するシーバスに乗ったり、このエリアのシンボル的大観覧車コスモクロック21に乗ったりしながらエリアを回って行く。海から上空からと通常とは違った角度を交えてみなとみらいを眺めながらエリアを散策する形がとられていた。杉本も観客と一緒にこのツアーに帯同していたが、観覧車のゴンドラの中で杉本が遠くを眺めながら誰に聞くでもなく「どこからが横浜でどこまでが横浜なんでしょうね」と呟いた。観客は複数のゴンドラに分乗していたのでこれも用意された言葉ではなかっただろう。それはこの創作の根源から出てきたような言葉だった。
この言葉を物性で考えるなら、それはとても柔らかくすぐに融けて空気に紛れてしまいそうな言葉だったが、それでいて弾性に富み伝導性の高い言葉だった。たとえば戯曲の中にこのような言葉が巧みに取り込まれたとすれば、それはとても豊かなものとなるだろう。しかし書き言葉としてそれを戯曲に封じ込める作業は容易なものではなく、活字になった途端に硬質で味気ないものになってしまうようなことも多い。またたとえ上手く戯曲の中に捕らえたとしても、今度は再びそれに息を吹きこむことが俳優にとって至難の業である。
本来台詞とはそれが発せられる場所や状況によって影響を受けながら規定されるものであって、それらが変化すれば同時にその言葉の物性は悉く変化する。現代人は自分の周囲で溢れ飛び交う言葉をこのような物性で取捨選択しながら受け止めていると言えるだろう。それは社会学的にコミュニケーションを考える際に重要なことであるし、戯曲を書く際にも意識しておく必要のあることだろう。
こいずみ・うめ 和歌山生まれ。演劇ダンス批評・舞台感染対策・観客発信メディアWL(ダブル)スタッフ。
非常事態が続き、当たり前と思われていたあらゆる事が次々に当たり前ではなくなっていった。例えばこれまで何気なく使ってきた言葉である「観客」はいったいどこにいるか。主宰の杉本奈月と上演後に話を聞いた際、言葉の本来の意味を超えて「観客」とは誰を指していたのかという大きな問いかけに至った。それはこの作品の最も大きな特性であり、オンライン化の進む舞台業界においても多くの関係者が直面している問題でもあるだろう。
この上演は「THEATRE E9 Air」と銘打たれ、世界中の舞台業界に打撃を与えたコロナ禍において、仮想の劇場という概念を用いるプログラムの一つとして2020年7月から8月にかけて行われた。日々変化するコロナウィルスの感染状況に苦心する劇場の中で、いち早く積極的なオンラインの活用に取り組んだ先駆的な例の一つと言えるだろう。はじめに「街の死」と聞くと、まるでこのコロナ禍の自粛によって経済が停滞し、死んでいく都市を比喩しているように思うかもしれない。このシリーズの2月上旬に行われた上演でも、まさにコロナウィルスの感染者でニュースとなったダイヤモンドプリンセス号が停泊していた横浜港で行われており、このことも感染症との関係性を感じる要因だろう。しかし、主催者によるとギリシャ語のネクロポリス(necropolises)には居住地区から離れた共同墓地という意味があり、オンラインへと移行させたことも相まって現在の舞台を取り巻く状況への予言的なタイトルだったと言えるかもしれない。
この作品でWebサイトに誘導された「観客」は、“朝目覚めた時の光の感じ” をテキストで描写するよう求められる。サイトは無機質で、ごくシンプルなテキストボックスと、白い抽象的なメインビジュアル、説明書きが添えられている。全体で2つのタームに分けられており、そのうち7月に行われる最初のタームでは、1週間のうちに「観客」それぞれが朝起きた際に見た光について文章に起こし、同時に写真を撮って専用のWebサイトへアップロードする。このアップロードされたテキストと写真を見る事ができるのは、この作品に参加した「観客」のみである。そして、その1週間の最後にはZOOMミーティングを用いて1週間を終えての感想などを参加者間で話し合う場が1時間程度設けられた。私が参加したミーティングでは、4人ほどでオンラインの部屋が設けられ、主宰の進行によってダイアローグを促された。そこでは光そのものを写真に捉えることが難しかったことや、システムがSNSに似ているようだという話と 、アプリケーションによって内容の方向付けがされているような感覚を感じたこと、閉鎖的であることが劇場との共通点かもしれないという話、文章が回数を重ねるうちに詩的になっていくことなどが話し合われた。知人以外との交流の減ったコロナ禍の生活の中で、他者との共通の体験を通して話し合うことで、ささやかながら演劇の立ち上がりを見たようにも思える瞬間があった。
次の8月のタームでは目を覚ました時間ではなく、実際に夜明けの時間にその光をテキストとし、撮影するという夏の日の出の早い時期にはややハードルの上がる内容には思えた。私自身も参加する中で何度か写真をうまく撮れていなかったり、夜明けを逃してしまう日があったが、同様に一週間後に行われたミーティングではこれを ”修行” と表現している参加者もいた。しかし、この状況を積極的に扱える参加者もいた。それは普段医療に従事されている方で、日常的に夜勤をしているため、よく夜明けを目にしているという方だった。写真を趣味としているというこの参加者の撮影した病院の廊下に差し込む夜明けの光は、床に反射して新海誠のアニメーションのような美しい写真となっていた。この夜明けの美しさを普段から見ていたというこの参加者はこれまで表現者ではなかったが、共有する場ができたことに喜びを感じたと発言した。こうしたエピソードを知れることはこの作品の与えた大きな役割の一つなのかもしれない。ウィリアム・シィクスピアの戯曲『マクベス』の中に “The night is long that never finds the day.” という有名な台詞がある。松岡和子訳では「朝が来なければ夜は永遠に続く」とされている言葉で、「夜の後には朝が来る、夜は必ず明ける」という諺をもじったものである。諺のように夜明けの光というのは一筋の希望に比喩されることが多いが、本作では「街の死」というタイトルの元、コロナ禍という状況や梅雨明けの遅さなどが重なり、人のいない写真たちや寄せられたテキストは必ずしも希望に満ちたものではなかった。夜明けの光は本当の意味で私たちには届いておらず、マクベスのようにまだ夜を彷徨っているのかもしれない。
観客が能動的に参加する、という形態自体は1990年代以降、参加型アート、リレーショナルアート、ソーシャリーエンゲージドアート、ワークショップなどと呼称され、日本においても美術の文脈でも多くのアーティストが取り組み、当たり前のような形態となってきた。しかし、それらの社会に介入しようとする作品と本作では相違点があった。それは、あえて劇場空間のように情報を閉鎖的にし、朝の光を記述するという内的で、個人的なストーリーに焦点が当てられている点である。参加者は能動的に個人の話を共有することで、「観客」が出演者であり、同時にスタッフでもあるという「座組み」という概念に近い小さな共同体の一員となったのである。前述したように、これらの成果物の目撃者となる人たちは参加者でもあり、第三者は存在しない。つまり、この作品に観客は存在しなかったのだ。従来の多くの観客が舞台から遠のいてしまっている現在の舞台業界であるが、このミーティングに参加していた毎年数百本の舞台を見るというコアな「観客」の一人も、演劇がここまで減ってしまった現状に対して思ったよりも問題なく過ごせていると話していた。この作品において「観客」がいないという事象、またそれに対して私たち“観客”=参加者がその状況を受け入れていく過程は、単にこの作品の特性を指すものではなく、社会全体としての観る・観られるという構造の解体の一端なのかもしれない。誰もが気軽にアクセスできる作品が増える一方で、この作品を通して感じられたことは、演劇に対してある種の閉鎖性や特別性を求めているのかもしれないという点である。コロナ禍を経て、今後観客と作者の関係はどう変化していくのだろうか。
撮影:杉本奈月
関西を代表する女優の歩み 瀬戸 宏
井上由紀子著
『そんな格好のええもんと違います 生涯女優 河東けい』
関西の現代演劇の俳優についての伝記資料は少ない。戦前はもちろん戦後ももう多くの人が鬼籍に入り、その足跡を追うのが難しくなっている。その中で貴重な書籍が公刊されている。『生涯女優 河東けい』を出版する会 編、井上由紀子著『そんな格好のええもんと違います 生涯女優 河東けい』(以下本書と略記)である。河東けいは、本書で詳述されているように、関西芸術座創立以来のメンバーで、今も現役の女優である。2017年の刊行だが、その内容は今も新しく、また関西演劇人の間でもあまり知られていないようなので、ここで取り上げたい。
本書は、<第1章おいたち>、<第2章「もっと羽搏きたい!」 戦後の歴史とともに歩む「女優」河東けい>、<第3章反戦・平和を希求して演じ続ける>、の三章に分かれ、各章末尾に河東けいと縁のある菊川徳之助、中島淳ら11名のコラムが付いている。文末には、資料として「『関西芸術座』誕生まで」、「《新劇不毛》と言われた上方、大阪の六十年 関西芸術座を支え推進した『岩田直二・道井直次』二人の軌跡」が収録されている。さらに序文として冒頭に井上由紀子の「はじめに」、木津川計、ふじたあさやの「讃」が掲載されている。著者の井上由紀子は1945年生、大森実(元毎日新聞記者で国際ジャーナリストとして活躍)の秘書を務め、その後フリーの編集者、執筆者として活躍している人である。井上由紀子は河東けいとインタビューを繰り返し、個人的にも親しく交流して本書を書き上げたという。書中には舞台写真などもかなり豊富に収められ、視覚面から読者の理解を助けている。
本書に沿って河東けいの生涯を振り返っておこう。第1章は、1925年大阪市北港住宅で生まれたことから始まっている。本名は西川紫洲江、かなり裕福な家庭だったようである。太平洋戦争中に清水谷高等女学校を卒業し、上京して日本女子大学に入学した。しかし戦争激化で一度関西に戻り、1945年6月の神戸大空襲(野坂昭如『火垂るの墓』に描かれた空襲)で当時は石屋川にあった自宅は灰燼に帰した。敗戦後の1946年に再び上京して日本女子大に復学し、卒業後は東京で一年ほど会社勤めなどをした後、再び関西に戻り、そこで劇作家の阪中正夫と出会う。豪放な性格で話もうまい阪中正夫は多くの演劇志望の青年学生に取り囲まれ、そのグループから多くの文化関係者が育ったが、河東けいもその一人であった。おそらくそのグループの誰かの紹介で、河東けいは民衆劇場という劇団に参加する。河東けい27歳、1952年頃のことである。民衆劇場は名称の通り民衆の演劇をめざして各地の工場への巡回公演を主におこなう劇団であった。河東けいという芸名も、この時から名乗ったという。
第2章では、俳優となった河東けいの活躍が描かれる。民衆劇場では本来は文芸部所属だったが俳優が足らず舞台にあげられ、そのまま俳優が主になってしまった。その後関西では、この民衆劇場と制作座、五月座の三劇団が合併して1957年に関西芸術座が生まれた。合同して東京の劇団に対抗できる劇団を作ろう、という意図があったという。河東けいは、すぐに関西芸術座の中心的女優になった。『少女と野獣』(1957年)、『ある尼僧への鎮魂歌』(1960年)、『アンネの日記』(1970年)など多くの作品に出演している。また、1972年にはサルトル『トロイアの女たち』を初演出し、その後の演出活動の先鞭をつけている。
本書が記すところでは、関西芸術座での河東けいの代表作は関西芸術座創立20周年記念公演でもある1977年上演『奇蹟の人』のサリバン先生である。関西芸術座『五十年のあゆみ』によれば、ウイリアム・ギブスンの原作を富田悦史が脚色・演出したものである。ヘレン・ケラーは松谷令子が演じた。『奇蹟の人』は東京の劇団でも数多く演じられているが、関芸版『奇蹟の人』は1979年7月まで全国の中学高校を巡演し、さらに85、86年にもおやこ劇場などを巡演している。上演回数は650回近くに及んだという。「いろんな人が演じているが、河東のサリバン先生が一番胸を打つと言ってもらった」という河東けいの言葉が本書に引用されている。私は1991年に大阪の大学に勤務するようになったので、残念ながら関芸版『奇蹟の人』は観ていない。
1980年代前後から関西芸術座の活動はしだいに下り坂になっていく。アングラ小劇場演劇の勃興と新劇の衰弱である。関西では唐十郎、鈴木忠志らアングラ第一世代に相当する世代の活動が弱く、実質的な小劇場運動の開始は1982年の第一回オレンジルーム演劇祭から始まる。新劇関係の書籍ではアングラ小劇場演劇の動きは無視されることが多いが、本書では関西小劇場運動の動向にも触れられる。そして21世紀に入ると、新劇と小劇場演劇共闘の動きも現れる。河東けいが参加する「大阪女優の会」では、新劇、小劇場演劇双方の女優が参加し一つの舞台を創り出している。河東けい個人の軌跡に止まらず関西演劇の歴史にもかなりの紙幅を割いているのも、本書の特色である。
第三章では、第二章で概説された河東けいの歩みの中から主要な活動をより詳細に紹介している。反戦の思いを込めて河東けいが呼びかけて立ち上げた「大阪女優の会」の活動などである。具体的な舞台活動では、上述した『奇蹟の人』のほか、特記されているのは、第二回日韓演劇フェステイバル(2012年)での太田省吾作、李潤澤演出『小町風伝』小野小町と三浦綾子の小説『母』をふじたあさやが脚色した一人芝居『母ー多喜二の母』(1992年初演)である。前者は日韓両国の俳優が韓国の演出家のもとでアングラ小劇場の代表的人物の一人太田省吾の作品に取り組んだものであり、後者は警察署で虐殺された小林多喜二の母が共産主義はわからないながらわが子を失った哀しみを強く訴える情景をさまざまに表現し、上演を繰り返し中国・韓国でも上演された。この二つは私も舞台を観て強い感銘を受けた。『母―多喜二の母』は2006年の上海公演を観たので、思い出も深い。(『小町風伝』を演出した李潤澤はその後韓国でのセクハラが発覚し実刑判決を受け、韓国文化界から抹殺された。この事実は指摘しておきたい。)
本書では、生涯独身を通している河東けいの私生活にも触れられているが、それは本書に直接あたっていただきたい。
本書には演劇史の歩み、特に関西新劇がなぜ下り坂になっていったのか、についての掘り下げた分析の不足や河東けいの出演・演出作品目録や年譜がないなど、注文をつけたい部分もある。しかし、俳優の伝記は多いが大半は東京で活動する俳優のもので、関西で活動する現代演劇俳優の伝記としては、本書は希有のものであろう。河東けいの活動が一冊の本を作らせる力を持っているということでもある。本書はもっと多くの人に読まれて欲しい。
井上由紀子著『生涯女優 河東けい』を出版する会編『そんな格好のええもんと違います 生涯女優 河東けい』
クリエイツかもがわ
2017年11月30日初版
1800円+税 ISBN978-4-86342-226-1
関西芸術座
関西芸術座は1957年に創立し、60年以上の歴史に支えられた関西の中心劇団です。劇団員は10代から90代まで在籍し、レパートリーは大人から中高生や児童を対象としたものまで幅広く、公演も全国に展開しています。また、テレビ・映画・ラジオ・CMなど、マスコミにも積極的に取り組み、活躍しています。
(劇団ウェブサイトより。https://kangei.main.jp/guide/intro/)
岩田直二 1914-2006
大阪府生まれ。大阪市立大学卒業。1957年の関西芸術座創立時に演出と代表を務めた。俳優としては舞台の他に映画『まぼろし夫人』『忘れられた子等』『ザ・カラテ3 電光石火』『裸の十九才』『陽暉楼』『序の舞』『写楽』、TVドラマ「音・静かな海に眠れ」などに出演。大阪芸術賞受賞。
道井直次 1925-2002
演出家、児童劇作家。
大阪府生まれ。京都帝国大学文学部イタリア文学科中退。関西芸術座を創立し、取締役。大阪府民劇場賞奨励賞、日本児童演劇協会賞、東京都優秀児童演劇選定優秀賞受賞。